オレたちのワッツ



1


「世の中ってやつがけっこう立派にうそだらけで、ただのダマしあいとウバいあいばっかだ、ってことにようやくおまえのオヤジが気がついたのは、遅すぎる51才の春でした」と、熱いケチャップスパゲティをフライパンから直に口に入れて咳(せ)きこみながら、そのくせけっこううまそうに春らしい休日の朝飯を食べつつ、オヤジは笑いながらそんなことをオレに言った。妙に幸せそうに。くやしい、とかじゃないんだ。むしろ楽しそう、なんだぜ。なぜならきっと、そんなごく当然のことに気がつくまでのクソ長いナィーブな日常が、それはそれなりにオヤジにとってワッツだったからだろう。そうにちがいない。オレはそう信じる。信じる以外に道はない。おいおい道は自ら作れとか、やめてくれ。めんどい。
  
 セックスは、ワッツだ。
 大切なので、もう一度。セックスは、ワッツだ。
 けれど、そういう意味では、1本のユリだって、ワッツだ。わかります?
 まあ、そういうものなのだ。だから、考えるだけムダってこと。OK? ムダとダムって似てるよね。ダムの多くが実はムダであって、およそ公共事業で働くおじさんやおばさんが稼ぐ勤労感謝的な報酬社会事業だってことかもしれない件について、ここであえて善悪を問うつもりはないけれど、そこで生産される絶対的な存在がウンチとあばら屋と酒瓶とわずかながらの消えゆくおもかげ的記憶程度の話だったなら、なんのためのワッツだとオレは言いたい。わるいけど、言いたくなる。だれかにケンカを売ってるわけじゃない。だれかを個人攻撃したいわけでもない。ただ、ピュアに、オレは聖なる存在として、ワッツを説く。

 みなさまの幸福が、すえながく、ワッツと共にあらんことを。めーん。

 いや、しかし。ワッツが、ワッツだからって、とくに何かがすごく変わるわけじゃないっすよ。ま、それはそうです。変わるわけじゃないけど「なんだ変わんないのか」と、真っ直ぐ言っちゃったら、それは配慮にかける。むしろ営業妨害。そこはだまっていようぜブラザー(にらむ目)

 で、セックスは、ワッツなのか?
 もう一度問う。セックスは、ワッツなのか?
 なに? 聞こえないぜ。もっと大きな声で答えやがれ。って、なんでこんなアホっぽいことをくどいまでに問いただすかというと、人間てものは、そもそも老いも若きもこの手のエロワードに過敏で、ついつい期待がふくらみます的真実と、謎めいていながら案外誰にとっても身近なワッツだったりするから、オレはそれを逆手にとってこの文章をお前らに読ませるために書いてるぜ、ということは、うそです。うそだから信じない。オレは人をだまさない。すべてが真実。オレはおまえたちを愛しているぜ。カッコ笑カッコとじ。

 愛する……安っぽい言葉だ。それはまるで、高校の中庭に半ばまちがえて作ってしまった乙女のブロンズ像と噴水みたいなもの。けだるげで、意味もなく水をはね散らかす。オレはあるとき、オヤジに実験的質問をしてみた。その、愛ってことについて。そしたらあいつ、恥ずかしげもなく、おもいやりだとか、自己犠牲だとか、それはそれはセンシティブすぎる売れない恋愛作家らしい人生感に発展するから、なるほど、そうなのか、噴水って愛のメタファーなのか、そうだったのか、とオレは公的日本のふきあげるセクシーな社会資本と、健全な現実の裏すじのきつりつした真実に爆笑して、ザンネンすぎる先人の知恵にKOBEを垂れた。

 さあ、ぴーぽー、ワッツの光をもとめよっ(≧◇≦) 

 まことにまことにもうしあげるが、きみたち、これはワッツの啓示だ。ワッツの光をもとめよ。いわゆる、目次録ってやつだ。え、モクジの字がちがう、と? そう? なにかにているような気はするが、まあいいじゃないか。ていうか、目次をめくれば、そのさきには君を待ちかまえる人生の落とし穴ってやつががひそんでいるかもしれないということは、今も昔もかわらない村人社会的真実。ていうか、失敗覚悟であえて落とし穴にはまってみて、わざわざ金をはらってずっぽしはまってみたというのに案外普通でつまらねえじゃないか、と、ネット通販サイトのレビューに30分だか1時間だかかけて作文投稿し、災害ボランティアなみの社会的善行をしてしまったかのごとく満足するオレたちの日常イェー。

 さて、ここでひとつ健全男子らしく、ミニスカから伸びる女子の足、というものについて考察してみるテスト。
 すらりと健康的でありながら、どこか丸っこくてやわらかげ。それは、すてきだ。認めよう。認めざるをえない。しかし、なぜただの足が素敵なのか。そういうメスの形態を魅力的と感じるオスがすてきな空想生産マシーンなのか。すてきなオスは、色眼鏡とか、いろいろ眼鏡とか、いろいろ色眼鏡とかで、世の中をすてきに見てしまうという展開。それはそう。みとめるのに、やぶさかではございません。どうせ、ただの幻想と、だましあいのごった煮の世の中ならば、妄想だろうとなんだろうと、すてきに見て勝ち組気分でいた方が千倍お得な幸福感も、ただそれは千分の一の気の持ちようから、という気分ビジネス。気分ナビゲーター。気分ソーシャルワーカー。あんた、そんなに金が欲しいのか、え?

 すみません、お金欲しいです。
 と、ふと、自らのよって立つ下の方を見たとき、オレは下には下の世界があることにハッと気がつく。いわゆる、悟りだ。これこそが、悟りというものだ。たとえばもし貴方が絶対相対性理論を高等力学でくるりんしているときでさえ、靴下は靴下として、靴下の匂いをまとうのだ。くさいのかどうか、あるいはすごくくさいのかどうか、それはこのさいあまり関係ない。問題は、貴方の靴下がくさくても、あるいはとてもくさいとしても、絶対領域理論でYの方程式を逆演算式にソフトでウェッティな正解と導くことは、妄想架空領域において《不可能ではない》ということである。どうししょくん、がんばりたまへ。

 ここでひと言。血について。
 私の血液型はABで〜、とかほざくまえに、ブラッドタイプの革ジャケットを着て腕から血をしたたらせてみろ。たまにはオレも本気でいわせてもらうけど、悪魔はそこにいるんだぜ。攻撃的で、独善的で、平和を乱す軍拡主義のブラッドタイプが、まいどおなじみ〈自衛のため〉とか下らない屁理屈をくりかえし、獲物をもとめてうずくんだ。皮膚にさいた微細な花のように傷はまんべんなく全身をおおい、しょぼくれた聖なる泉のように天使の赤い涙をしたたらせ、局地戦の砲弾は内からも外からも肉をえぐる。あまりにも痛烈な、痛烈すぎる破壊の快楽のあと、よせた波が引くように、必ずおとずれる後悔。だれかに謝りたいわけじゃない。人に見られたら気まずいぜと反省するわけでもない。ただ、またやっちまった、と自ら絶望し、打ちのめされる。
 あんた、真なる血ってのは、そういう型だぜ。

 オレはミュージシャンぽい存在だ。はい、これは、じつは、けっこう、本当。
 本当、ということの意味について、くわしく議論なんかする気はないけど、ただ、どんなミュージシャンかというと、スピリチュアル系ということになるかな。だから、ときどきヘンな場所にも出入りすることはあります。西のほこらとか、町の酒場とか、機械都市とか。ってそれはゲームの世界だよ、おいおい、いいかげんにしなさい、なんでやねん。いやまあ、オレもいちおうゲームもやりますけど、ていうかけっこうやっちゃいますけど、それはそれとして、いまはラッパー気取りで文章書いてるオレ、こんなの長く続かないぜと正直に言うオレ、正直すぎる性格、ボケツ掘るオレ。

 すみません。
 話題変わるけど、六本木、そんなところにも、オレなりに、こないだいってみるわけさ。ほんとに、いちおう、知っとかないとね。こう見えてアーティストの端くれだし。その界隈ふくめて。で、そのとき悟ったんだけど(「そのとき悟ったんだけど」って言葉がオレはわりと好きだ)そこは、たしかにうごめき、強まっている場所であった、という感想はあるまじろ。(スペイン語: Armadillo)
 いやいや、ただの黄色いタクシーまでやばい色彩アート、てかてかした質感、実はただの広告聖域、なんなんだろうこれは、って考えてみたら、いちばんの例えは、乳首、と気がついてしまったというはずかしい悟り。いちばんの例えは、乳首、と気がついてしまった。いちばんの例えは、乳首、と気がついてしまった。
 すみません。ホント、すみません。ザンネンですが、へそとかじゃないっす。くるぶしとかでもないっす。かたくて、ツンとした、盛り上がった何か、というと、それしかオレには。

 しかし、よく考えて欲しい。人は「乳首」にロマンを感じるか? 感じれるか?(〈ら〉はときどきぬくのがオレ流)はっきり言って、乳首にロマンなんか、否だ。見て喜ぶものじゃない、あれは。わかっている、むしろ、君も断じて、否だろう。いや、もしかすると発育しかけの初々しい小ぶりの犯罪的情景には特別な萌えがあるという反論もネイチャーサイエンス的にありうるかもしれないが、そんな純情乙女の瞬間奇跡的ドリームは聖なるGODとして祭り上げておくとして、日常的凡庸的に高望みなく期待されるのは、むしろ周囲をとりまく脂肪を含んだソフトテイストな風景であり、その風景の持ち主たる人物のスタイルやルックスまでふくめたトータルコーディネイト論であるからして、六本木を取り巻く渋谷新宿のムダにうるさいボリューム感とか、反対には白金高輪ちほーの固めでとっつきにくくて、たぶん自分で住んでみると違和感の方が強くなるかもだけどでもやっぱり憧れちゃうなぁ的清楚感とか、地理的妄想にひたってみるわけ。

 とりま、六本木乳首論にしてみたところで、そんなことはどこの村落にもありえること。かくされつつ魅力を香しくまとった見えざる何かが、あられもなく「私よ、うふ」と顔を出したとたんにスーとさめていく森羅万象の奇妙な万華鏡にもてあそばれるのも、乗り越えるべき心の試練と、けなげにがんばる日常的オレたちイェー。

 案ずるな。ワッツは、あなたたちを、見ておられます(≧◇≦)
 
 で、なによ、ワッツって?
 ま、それについては、今後の展開に期待ってことで。とりま、焼きハマ、食べます?


2

 で、いっとくけどオレは神だからよろしくは言いすぎにしても、神的な存在感かもし出しちゃう特別なオレであることは間違いない的な新生ジェネレーションいぇー。

 だってそうだろ自分がいなくなったら、この世は終わり。《オレにとって、この世は、ディス・ワールド》ウォッチする人がいなくなればナッシング。オール消滅。支離滅裂。その先に何が続くにしても、オレが知りうる絶対的この世の中とはちがうべつの新次元的なにかであることはまちがいないから、死んだらそっちは見られないぜ。(〈ら〉は入れることもあるのがオレ流)見られるところを、しっかり見ろよ見とどけろ。きんぎょたちは今日もめんたまひんむいて力強く世界を見る水の中。

 あ、すみません、つかれたんで、そろそろもうラップ調やめていいっすか? てっしゅー

 まあ、冗談はさておき(冗談だったのか!?)なにより不思議なのは、タイムワープする以前、つまり時間軸変動する前の現次元のリアル世界において、つまり普通に、ここにおいて、オレの知っている世界と、オレが知らない世界がある、ってことだ。
 だって、そうだろ? 知らない方は、いわゆるひとつの異世界で、うちのオヤジだって、扉一つへだてたむこうではオレが知らない異世界ワールドで、オレが知らない異性人としっぽりお茶してあほ息子の失敗人生を笑い合い、いっそ赤ワインの煮込み料理にでもして食べちゃったほうがよくないかしら、ミンチにしてすき紙にしましょうか、なんて残虐なことをさらりと言いあったりしている可能性は、けっこうあるまげどん。 (Armageddon:新約聖書に由来する言葉、ハルマゲドンの英語読み)

 でもさ、ぎゃくに、だ。オレが、本当は、この想像を絶する、絶しまくる《世界の真なる究極の秘密》を知っていたり、地球の未来と全生物の進化を決定づける責任を担っている超絶神的存在だってことも、あるいは、あるかもしんない。うん、ないとはいえない。ていうか、実際、あるっしょ。ありありしょ。ありまくりっしょ。いやいや、チョウチョの風が始まりとなって〜ってくだんない話じゃないぜ。だって、それがオレたちの、ワッツだから。ワッツ、なのだから。ワッツにたどり着いちまった以上、悪いけど、オレは絶対無二の救世主。やりたくなくても、目立ちたくなくても、しんどいのがいやでむしろラクしたくても、人類救済を託された任務は無視できないところの聖なるワッツ、つことで、ひとつ。

 さてさて、そろそろこんな文章もめんどくさく感じられる感じなので、少しリアルな展開をするべし。

 今、こっちのワールドは、湿気むんむんの六月になりやした。
 
 そんなある日、我が乳、もとい父がオレたちの安マンション3Fに仕事から帰ってくるなり、国王のように言い放った明言について、ここで謹んでご報告。
「うわぁ、にちゃにちゃだ、お父さん、身体にちゃにちゃだよ。にちゃにちゃ大王だ〜」
 ぅおいおい、なんだよ、にちゃにちゃ大王って、それゴキブリ取りの新ネーミングか? とオレは心の中でつっこんだ。あえて口に出さなかったのは、優しさではなく、面倒だったからだ。
「にちゃにちゃダイオー、にちゃにちゃダイオー、にっちゃにちゃ!!」
「あのさぁ、そんなこといちいち宣言しないでくれる?」とさすがにオレは苦言をていした。「まわりまでいやな気持ちになるじゃんよ」
「えー、そうか?」
「そうです」とオレはパソコンで某まとめサイトのバカ議論にダメ元の反論をウダウダと書き込みながら、顔をしかめつつ断言した。
「コラーゲンというのかな、このにちゃにちゃ感。すごいよ。コラーゲンだろ?」
「しらない」
「ネットで検索しろよ、にちゃにちゃ・アンド・コラーゲン」
「いやです」
「いやしかし、今日は特にすごい。こんだけにちゃにちゃで不快なのって、まず年に一度あるかないかだろうな。そうだ、このまま我慢してすごしてみようかな。この壮絶な不快感、人生の試練かもしれない。せっかくの試練をシャワーで流すの、もったいないだろ?」
「好きにしたらいいがな、あんたの身体なんだから」
「そう言うなよ、お父さんの感覚はみんなで共有しよう」
「したいわけがないのであります」
「家族のコミュニケーション、大切にしよう。な、ほら、このシャツのニオイ、自分でもオヤジっぽいのがわかる、すごいぞ〜」
 無精ヒゲの目だつ魔神のような姿で笑う50男の姿がそこにあった。
「ほらほら、家族のコミュニケーション〜」
「ちかづかないでください」
「そう言うなよ。家族のコミュニケーション〜」
 って、あのぉ〈家族のコミニュケーション〉って言葉、発明した人、どこのだれですか? いそがしいですか? 責任とってもらっていいですか?

 そんな不快感マックスの瞬間をのりこえて、なんだかんだでひとっ風呂あびて、缶ビールを「プシュッ」とオープン、短パンのみの上半身裸でオヤジ専用パソコンの前に座って、「さて、今日は何にしようかな〜」とネット配信のアニメを見始める脊椎動物。そのうごめく生態を前にして、オレは「感情を支配されたら負けぜよ」と桜散る幕末サムライBLキャラ風にタッカンするしかなかった。
 
 いやしかし、不快を感じると、その反動で、どうしても清らかな救いをもとめたくなるものでありんす。
 ま、わっち自身が清らかな国の住人かどうかはともかく、一方にかたむきすぎたバロメーターを、すこしばかり正常値にカムバックさせる自己バフとして、聖なる魔法も必要であろう。しからば、いまこそ、ここに紹介してしんぜよう。

 竹石美琴(通称:ミコ)

 いきなり女子? そう、女子っす。女っす。
 ぶっちゃけ、彼女すれすれ。彼女的な。彼女風の。彼女っぽい。
 おい、今くすっとか笑ったやつ、あとで体育館の裏こいとおどす系台詞をはいてみるオレのやる気にひざまづけありんこども。

 まあ、ぶっちゃけ、なんだかんだで、お互いべつの人とつきあっていたこともあるクロスしたエックス関係。いやいやエロいセックス関係、なのではございません。まだ、それはないのです、すみません。長い関係で、しかもいい感じもたくさんありながら、諸事情により。期待を裏切るようですみませんのりきゅう。

 てか、どーせ見た目かわいい女子だって、頭の中は他人の悪口ぐだくだで、梅雨になれば股間だっていささかすっぱい発酵状態かもだし、じつは見た目の可愛さに反してけっこうめんどくせえ性格だったりすることもあるかもしれないぜ?
 いやいや、それはそれとして、ミコは、あいつは、オレに言わせれば、ワッツだ。一人のワッツだ。ワッツ的な何か、なのか、ワッツそのものなのか、そこは、心配するだけムダなダムの美しい景観NG。

 見えるものだけではなく、見えないワッツを、キミには感じてもらたいたい。それが、オレからキミに伝える真実。

 いやしかし、ちょっとまって、見えないワッツ……といえば、見えるものと見えないものの差異はなんなんだろう?

 では具体的に考察してみよう。水着女子(注・グラビア系)のほぼ同じ写真をPCディスプレイ上に二つ並べて、顔を寄せて目の焦点をはずす。すると……これけっこうむずかしいんだけどうまく焦点がはずれて二つの水着姿が重なると、あらふしぎ、リアル立体水着女子に、な、なってちまうのれす\(^O^)/

 胸のふくらみのふくよか感、おしりの丸み、リアルに再現されてすばらしい。
 
 え? だからなんなんだと? だったら胸のふくらみ感がワッツなのか? むしろそれはワッツというよりパットなのか、いいえ、たとえパットが7割だとしてもそこにソフトな存在の真実が少しでも隠されているのなら、なすべきことはなさせばならぬ、ではそのなすべきこととはなんなのか、そこを抜本的にはげしく追求されるとオレも後悔心と羞恥心の混ざったイカくさいなにかに身体をつっぱらせてちじこまってしまうわけ、とか、おい、下ネタはやめろ!! 下ネタ反対!! 再稼働反対!! って、な、なななな何が再稼働やねん!!「再稼働のしすぎはあなたの健康をそこなう可能性があります」ってなんやねん!!

 ハアハア。ま、心を落ち着けて。とりま、焼きハマ、食べます?


3


 オレは、ぶっちゃけ、苦しんでいた。マジ、です。クノーです。
 そんなある日、やつは現れたのだ。すでに日は暮れていた。六月の遅い日暮れ。オレはバイトが休みで、いつも通り閉店時間近くのスーパー(●トー●ー●ドー)で肉と野菜、そしてなぜか値段が半分に下がっているという、とてもめずらしい価格設定の総菜類を、いくつか買って帰ってきたところだった。

「すみません」
「あ、はい」
 マンションの通路、三階にあるオレの居住スペースのドアから5メートルくらいのところで。
「救ってもらっていいですか?」
「……はあ?」
「私は、地球からきたものです」
 むむ、なんだ? あらてのセールスか? 悪しき侵略者には見えないから(どちらかというと細くて弱々しい存在だった)きっとそうにちがいない。最近、セールスもこんなことになってるのか? 異世界トーク? アニメの悪影響ありすぎじゃねすか? って、オレが人のこと指摘できる立場かどうかはおいといて。
「すみません、言ってる意味わからないんで、そういうこと、わかる人に聞いてもらっていいっすか?」
 オレのナチュラルな拒否権発動に、彼は口を閉じ、妙に純情そうな眼差しで一瞬思考した。色白、身長はオレと同じくらい。知的な日本人顔だけど、髪がまっ黄色なところが、いけてるといえばいけてるけど、お手入れたいへんじゃないですか?
「いえ、やはり、わかっていただけるかたは、あなただけですので、すみませんが、どうか、ご理解を、おねがいします」
 とってつけたような丁寧語を、まるで外国人のように語る若きライトノベル系セールスマン氏。
「まあ、助けられることがあるなら助けますけど、でも、お金とかならありませんよ、うち、貧乏なので」
「まじですか?」
 おいおい、そこをつっこむのか? つっこんでくるのか? まあ、いい。
「じゃ、そういうわけで、失礼しまーす」

 サラリと横をすり抜け、素速くドアに鍵をさして開け、ルームイン。即座にドアをシャットアウト。
 なんなんだあいつ、と思いはしたけど、あまり考えるべきことでもないと自己判断。どうせ売れ残った商品を少しでもいいから買ってくれ的な話。適切な情勢分析をスーパー演算処理したオレの脳は、そそくさとチンゲンサイと半額ラム肉をどう料理するかという現実的思考にシフトしていた。

 オヤジはまだ帰っていなかった。今こそオレにとって、この居住エリアにおける貴重な完全自由な時間というやつだ。いわゆるフリータイムだ。独占大人の時間だ。男子専科だ。オレは自分用にコーヒーを淹れて、まずは半額で買ってきたカレーパンを食べた。エッチな誘惑に、なかば流されそうになりながらも、いやいやそうじゃないだろう、と。あとで「うるさい」と言われるのはいやなので、自己強制的にギター練習へ移行。

 小一時間後、ドアが開く音がして、ギターを弾く手を止めた。
「なあ、おい」
 と、帰ってきたオヤジが玄関から。
「外に面白い人いるな」
 ああ、それ、セールスだよ、最近ラノベ系のヘンなセールスが……って言おうと思って、練習で熱をもった手をさすりながら立ち上がって玄関を見たところ、すでに入ってきている黄色い髪のお兄さんが、オレを見てぺこりと頭を下げなさった。
「さきほどは、どうもです」
「あ……」
 オレは、知らない。オレは何も関係ない。一切の責任と関係を拒否する。これはオヤジのフリーダムワールド。このマンションの一室は、今まさに分割セパレート。
「彼な、地球から来たらしいんだな。話長くなりそうだし、いっしょにごはんでも食べようかと思って。彼の分も作ってもらっていいかな」
「はぁ、オレが?」
「そうだよ、お父さん、先に風呂入ってくる」
「はぁああああ?」
「今日も蒸し暑くてにちゃにちゃなんだ……って、おい、ふろ、お湯たまってないじゃないか?」
「だって今日は銭湯に行くっていってたじゃん」
「おおっ、そうだった。そうそう、スーパー銭湯な。今日から回数券買うとビール券プレゼントのやつな。あれ、よく気がついたよな。グッジョブ自分。えっと、君も、いく? おふろ」
 と玄関に立ちつくす自称地球人に向かって素朴な問い。
「……おふろですか、なにも用意していませんが……」
「それは大丈夫。着替えとか旭君のがあるからね。まあ、お父さんのでもいいけどね。少し匂いつき」
「はい、ありがとうございます」
 って、そこ、なんで素直に礼をのべるかな。せめて「匂い」のとこくらいつっこめよ!!
「ま、とにかく、ごはん食べよう。話はそれからだ。空腹でお風呂に入ると意識失うからな。ほら、ササッと作ってくれ、悪いな」
 もうなんなのよっ、ていうか、空腹で風呂に入ると意識失うなんて初めて聞いたんですけど、って、おもわず口をゆがめてふくれっ面をするエロい妹キャラになりそうなオレの心折れる音キッチンに響く。

《調理手順》
 1.チンゲンサイの根元の方に切れ目を入れて、お湯で茹でます。ついでに、トマトもあったので、いっしょにお湯に入れて、湯むきのサービスを。
 2.キュウリとレタスを適当な大きさに切り分け、湯通しした野菜と共に、すべて大皿に盛りつけます。タマネギドレッシングをふりかけて、さらにバルサミコ酢もひとふりサービス。
 3.ラム肉は、焼肉のタレをかけてもみ込むようにこね、フライパンで焼きます。少し日本語、いや、日本車、もとい日本酒をふりかけて、ふたをします。タレが焦げないように、肉の色が変わったら火を弱め、黒コショウと白ごまを振りかけて、野菜を持った大皿のまんなかにドドンともりつけ。(先にもみ込む甘めのタレと、仕上げにかける黒コショウのコントラストがこの料理の鍵)
 あんど、ごはん。
 完成。
 シンプルな大皿一点勝負&スーパー総菜(ひじきの煮物とお漬け物)、これだけあれば誰にもモンクはいわせない。汁物がほしいって? うるさい、のどが渇いたら、水を飲め!!

 てなわけで、居間のソファーで三人で食す夕食。
 三人って、ちょっとデジャブ。夕食三人は、久しぶりだ……

「突然すみません、でも、とてもおいしいです」
 と自称地球人氏は素直に感想をのべるくらねる。ああ、かみさまー!! 
「だろ? アサヒは料理が得意でね。バイトも居酒屋で料理を作ってるんだよ」
「バイトですか?」
「週四だっけ? まともな就職もしないでぶらぶらしてる……って言っちゃうと怒られちゃうから、いちおう本業はミュージシャン、と言っておいてあげようか」
「そこ、あんたに言われたくない内容につき」
「ははは、お父さんも、本業は作家なんだ、いちおうね。でも、本が売れないから、駐車場係の警備員とかやっちゃってるんだよ」
「おふたりとも、夢があるんですね?」
 って、君、ヘンに目を輝かせない。
「うち、妻がガンで死んじゃってね。それで、もう、やりたいことやる、ってきめたんだ。もちろん、もっとちゃんとしろって批判はあるかもしれないけれど、どうせ一度きりの人生だしね」
「ていうか」とオレは冷たく言いはなつ。「メンタル弱くて会社の仕事、続かなかっただけっしょ」
「まあ、そういう言いかたもできるっちゃあできるけど。まあ、そういうことだから、私は『変わったこと』には興味があるんだよ。ものかきって、好奇心がメシの種だろ?」
「メシの種って、その種は、メシがなる種だったのですか?」とぼそっとオレはつぶやいたがスルーされることはわかっていたし。
「君は、たしか、地球から来たって……?」
「はい」
「でもね、ここは、地球だよ」
「え?」
 箸をとめて固まる黄色髪の美少年。スッと。蝋でできた人形のように。
「ほんとですか?」
「もちろん。ここは地球の、日本の、埼玉県。本当は、君は、どこから来たの?」
「少なくとも、ちがう星から来たことは、まちがいないです」
「つまり、宇宙から?」
 と、前のめりに興味を持つ売れない自称作家の人生に幸あれ(≧◇≦)
「宇宙の、かなり遠いところです」
「何かに乗って?」
「着陸用のシップは、この建物の上にとめてあります。見えないようにしてありますけど。実は着いてから七日ほど、みなさんの言語解析をしていました。まだ不完全ですが、だいたい意思は、つたわっていますよね?」
 彼の曇った表情に、自信を持たせてあげたい誠意まんまんのオヤジが大きくうなずく。
「ほほぉ、うまいものだ。七日で言語を習得してしまったのかい?」
「もともと似ている言語だったようで」
「そんなことも、この大宇宙で、あるんだなぁ〜。まさに神秘だ」
 ちびたマンションの一室で大宇宙について語り合うオレたち、りっぱに大宇宙の一員だぜイェー。
 しかし、そんな楽しい会話とは裏腹に、美味しいと言いながらごはんを半分くらいしか食べずに箸を置く彼。
「すみません、今はやはり、あのことが心配で……」
「そうか、救ってほしいことがあるんだったな」
「はい。みなさんが、こんなに和やかな日常をすごしているところに、本当に本当に申し訳ないのですが、救って下さい、お願いします」
 彼はKOBEをたれる。目からは、本物のNAMIDA。
 え、まじで? ノリとか、シャレじゃなく?

 説明しよう。(食事のあとのおふろで彼から説明を聞きました、会話再現は長くなるので要約御免)
 黄色髪の名前はリュクラリーゼフナギ(聞き取りにくい発音だったが、カナで書くとそんな感じ)。彼の故郷は絶滅の危機にひんしている。ようは遺伝子をいじくりすぎて、子供が生まれなくなってしまった問題。子供ができなかったらセックスし放題じゃないか、とか考えた異星人もきっといたにちがいないとは思うところながら、マジで生まれる子供が激減しては笑いごとではないということになったらしく、しかしいったん乱れてしまった遺伝子は正しく補正しようがないという、あとから気づくには致命的すぎる落とし穴。バカなの? 唯一の解決方法は、遺伝子操作をはじめる前の時代にさかのぼり、純粋遺伝子を手に入れるか、遺伝子操作医学自体をストップさせる歴史修正という、いわゆるタイムマシン的発想らしいのだが、なぜそういう用向きの人が、わざわざうちにいらっしゃったのか? タイムマシンなんてないし。そもそも時間旅行なんて、空想小説ではよくあるけど、肉体が時間を越えるなんて、絶対ありえないですから。
 ところが
「だから、わたしは、こちらにこせさてもらいました。あなたを、探していたのです。そして、みつけました」
 と真顔で。

 はぁあああああああ?

 感情を確実に表現するために、僭越ながら、もう一度。

 はぁあああああああ?


 とりあえず、スーパー銭湯から帰ってくると、彼が、オレのスーパー下着とスーパージャージを着たままていねいに礼を述べてスーパーエレベーターで最上階に向かったのは、たぶん屋上にシップがとめてあるからなのだろうけど、オレたち親子は、その後、語り合うことはあまりしなかった。普通「なんなんだあれ」と議論をするところだろうけど、なぜか、そういう気分じゃなくて。
 というのも、たぶん、オヤジ自信も、このことは、オレ、つまり『旭の問題だ』ということを、心で察していたからだろう。
 
 オレたちのワッツ。そこにつながるシークレット。愛と冒険。古きよき時代のhigh schoolストーリー。
 どう考えてもめんどうな話ですよね。とりま、焼きハマ、食べます?

4

 思わぬ来訪者で、オレは突然としてスゲー大切なことを思いだした。いや、思いだしたというか、思いついたというか。たぶんこの異星人が来たのは、あのことのためだ……と、じつは察することがあった。あったけど、でも、それは高校時代の出来事で、何年も前だし、あのことの大切な記録は、いまやガラゲーに残っているメールくらいなのだ。もう自分はブルマ、もとい、スマホにチェンジしているから、目覚まし時計がわりとしてしか使っていないブラジャー、もとい、ガラゲーなんだけど、使わないままあの大切な青春の記録が消えていってしまっては悲しい。なんとかしなきゃいかんでしょ(まじ)、とじつはずっと思っていたし、愛Tの進化でビビッとワイヤレス通信しちゃって、さらっとパソコンに取り込めるようにならないかな、なってください、なってもいいよ、とずっと願ってきたけれどかなわず、ビジネス進化のソリューションに古典デバイスの博愛的救済なんてあり得ない。大切なことなら、自分でなんとかしないとやばい、ということ。
 
 オレは、とりあえず、黄色い髪の客人に、うちらの部屋の掃除や洗濯を教えることから始めた。「君のところを救わせてもらう以上、家事一般は手伝ってもらうよ」と明言したわけじゃないけど、そこはお互い、人種を越えた思いやり。ていうか、彼もひそかに洗濯物はためまくっていて、うちでたっぷり洗濯していったという日常のひとこま。宇宙を旅するハイテク異星人も、汚れ物がたまるところは我々とあまりかわらないらしい。まあスペース空間移動中は、寒いわけでもないので裸ですごしちゃえばいいにしても、このマンションにたどり着いたからにはラッキーボーイズ・アンド・ガールズ、日本の湿った初夏シーズンを汗・アカなしですごすことはできません。
 
 というわけで、普通の人は仕事をしていらっしゃる平日の昼、たまっていたうちのぶんもいろいろ洗濯ものを彼におまかせした上で(えらそうに殿堂洗濯機だけど、二槽式で、ときどき人の手は必要とする)、オレはガラゲーメールを、いっこいっこパソコンに再送していくというジミな作業を始めた。

「なにか、たのしいこと、ありませんか?」
 ガタガタと汚れ除去作業を継続していらっしゃる殿堂洗濯機のわきで、すっかり時間を持てあました彼は、オレにそう聞いた。
「え?」
「せっかく、来たわけですから」
「え?」
「なにか?」
「てか、君、楽しいこととかして、のんびりしてていいの? 世界を救って下さい、とか、あの願いはウソだったの?」
「ウソではありません、が、そう急ぐことでもないものですから。今病気の人を救う薬がない、とかじゃなくて、遺伝子のことなので……」
「なるほど」とオレは鼻で笑う。「任務事態は重大だけれど、一分一秒を争う話ではないわけだ。で、なにがしたいのかな?」
 オレはわがままな修学旅行JKを引率する高校教師の気持ちで彼に問いただした、が、返ってきた反応は意外に謙虚なものだった。
「わかりませんが、みなさんも、娯楽がないわけではないのでしょ? 昨日のスーパー銭湯は、なかなかよかったです」
「ああいうのがいいわけ?」
「限定するわけではありませんが、まずは、身近なところから知っていこう、と」
 しかたないな、パチンコ屋でも行くか、と娯楽の殿堂イメージに我が心が侵食されかけたところで、スマホが着信を知らせてきた。めずらしくメールではなく電話だ。って、おいおい、サブ画面表示の名前は、ミコじゃないか。オレは今、主にミコが書いてきた思い出メールをパソコンに移していいる最中なんですけど。

「もしもし」
「アサヒ君?」
「な、なんでしょう」
「ひさしぶり。今、いそがしい?」
「ん〜、まあそこそこ。自分がいそがしいというより、べつの人がいそがしくしてくれている、という状況かも」
「なにそれ。べつの人?」
「洗濯、してくれてる」
「女……?」
「いやいやいや、それはないから。昨日いっしょに男湯に入ったけど、やつが男なのはまちがいない」
「親戚の人かなにか?」
「あ〜、ん〜、つまり、その〜」
「よかったら、いっしょにおいでよ」
「どこに?」
「私、今夜、ストリートライブしようと思って」
「なるほど。幸運を祈る」
「でね、場所取りに来たら、すっごく天気いいじゃない?」
 いやそうでもないでしょと言いかけたが、女子にネガティブワードはNGと察して、「で?」と頭突きをかました、のではなく、続きをうながした。
「君も、やろうよ」
「なにを?」
「とぼけないで」
「いや、マジ、知らないし」
「いやいや、マジ、とぼけないでよ」
 ……
「誰がいるんだ?」
「誰って、私だけですが、なにか?」
「ヒロさんとかは?」
「ベース重いから、運ぶのイヤだって」
「だったらベースやるなよ」
 彼女の健やかな笑い声が響く。
「ねえ、君は、そんなこと、言わないよね? クラシックギターなら重くないでしょ?」
「風があったらダメだし」
「雨も風も大丈夫だよ。だから電話したの」
 むむっ、どうしよう、と、とまどった自分は、もちろん、このスーパージャージ姿の黄色髪男についてどうするかを心の中で思案したわけだが、ま、残しておいてもあれだし、このへんのご近所的娯楽について知りたいって言ってたし。
「ま、いいか。いくよ。洗濯終わったらね。ついでに、この、うちで洗濯している人も連れていっていいかな」
「もちろん。でも、どんな人?」
「ひと言では説明しづらいな。まあ、悪い人じゃないみたいだから、せいぜい、なかよくしやさんせ」
「何屋さん?」
「……おーい、リュクラさん、君、仕事でいうなら、何屋さん?」
 とオレは黄色髪の男子に質問。
「え、もっと洗濯しますですか?」
 と逆に彼から問いを投げかけられて。もういいよめんどくさい。
「ま、なんか適当なかんじ。それより、曲はなににするんだ?」
「私のオリジナル、聞いてる?」
 ミコがボーカルした手作りCD。実は、みみたこ・・・
「いちおう、それなりに」
「コード譜があれば、ぶっつけでもいけるかんじ?」
「は、はあ……」
「じゃ、それと、あとは、リラックス系のフリーセッションかな。君がやりたいのあったらシンセで演出してあげるよ」
「さすがに、そこは少し練習してからの方がいいと思う。とりあえず、そっちで展開してくれたたらアドリブは入れるよ」
「なるほど、じゃ、楽しみにしてるね。私、ギターの音色、大好きなんだ」
「あ、あ、あざす」
「冗談だよっ」
「ずっこーん、冗談でつかー」
「うそうそ。ほんとの話。だって、君のギターの音が響くと、みんな足を止めるでしょ? やっぱ、ほんと、いい音だもん」
 まあ、そこはウソではないじぇりあ。(ナイジェリア連邦共和国、英語: Federal Republic of Nigeria、フェデラルレパブリックすげー)
「ま、テクはないけど音色だけは、ってやつだから」
「私もシンセ、だいぶ使い込んだよ。なんならハリウッド映画みたいな壮大な伴奏もつけられるよ」
「シンセって、それ、ホントのシンセサイザー?」
「まさか。ふつうのやつ。もともとのプリセットを使い込んでるってだけ」
「ははは。で、機材とか、なにか持ってく?」
「たぶん、マイクくらいかな。アンプはうちのあるから使ってね」
「オレのコンデンサーだけど、ファンタム電源ある系?」
「アンプにはついてない系。じつはそれ、私もいつもひっかかるとこ。だから、それ用のちっこいアダプター、あるんだ。いくつか持ってる。君の分も持ってくね」
「アダプター……です?」
「ケーブルの途中に差し込んで使う電池式のやつ。ボーカルマイクで使うの」
「なるほど。でも、それ、一式、ミコが一人で運べるの? キーボードもあるんだよね?」
「今のキーボードは軽いよ。問題はアンプだけど、今回は、ユタロウが手伝ってくれるから」
「ユタロウ?」
「車でね」
 ユタロウとは、高校時代のオレの部活仲間だったやつだ。
「正直、君を誘うのも、ユタロウにせかされて、ってことだったりするんだよね、じつは」
 ああ、そういう話か。……で、ですよね〜
「まだ、つきあってるわけ?」
「え? まだ、ってどういう意味よ?」
「べつに深い意味はないし」
 しばしの沈黙。
「君って、ほんと、いつもかんちがいするよね」
「え?」
「いつも、いつも、いっっっつも」
「なんだよ、それ」
「君は、バカすぎる」
「直線ストレート杉」
「私がそれっぽくふるまうと、いっつもかんちがいしてくれちゃう。ボケとツッコミじゃないんだから、そういうの、いいかげんにしません?」
「……」
「はっきり言って、バカ。アサヒの、バカ」
「バカにバカって言うのは、差別表現でありんす」
「事実だからしかたない」
「事実でも、そこはかとなく真心が必要なことは存在するであろう」
「私の音楽は、いつだって真心よ」
「それ、面白い冗談」
「ふざけないで」
「ふざけてるのはどっちだ」
「いやいや、私はふざけてるんじゃなくて、アサヒ君に来て欲しいって頼んでいるのよ。心の底から」
 って、なに、しおらしい……
「だから、それ、自分で、いいのかよ、って問題なんですけど。自分なんかで」
「だって、考えてみてよ。やっとだよ。やっとなんだよ。こうして『君』を、誘えるようになったの。わかるでしょ?」
 ……え? ……わ、わかるのか自分!?
「えっと、たぶん、そこには、二つ、意味があると思うんだけど……」
「ま、そうかも。でも、いいじゃん。とりま、音楽、しよ。音楽は、地球を救うのですっ!!」
 オレは、苦笑した。
「しゃーないな、わかりました。りょうかいっす」
「じゃ、場所と時間をもう一度……」
 と、詳細を聞きながら、律儀にメモするオレ。そしてスマホという名の通信機接続を遮断し、ふと殿堂洗濯機のそばの黄色い髪の人を見ると、困ったような表情をしているから、こちらから「なに?」と質問してやると、彼はそのとき何と言ったか?
「アサヒさん、これから、セックスですね」

 ずこーーーー。
 ま、焼きハマでも、どうぞ。



5

 思い出、ってやつ。
 ガラゲーに残されたメールの中で、いくつか、とくに忘れられないものがある。これなんか、そのひとつだ。

《やれやれ。君は、バカだね。創作ということにしておいてあげようと思ったけど、やっぱり嘘をつくのはよくないとわかった。私、ミコは、これからユタロウとつきあうから。キスもしたし、その先もこの夏のうちにすると思う。コノハはコノハでいいけれど、私たちのことはほおっておいてよ。もう、あなたとは関係ないことだから》

 高三の記録。あ、じゃなくて、高二か。
 バカで、関係ない、アサヒ君……

 オレ「アサヒ新聞」とか、保守系クラスメートからからかわれたりしたこともあったっけ。そんなの、べつになんとも思ってないけど。……って書くこと自体、なんとも思ってなくない証拠じゃね自分?

 ただ、要するに、自分って、そういうキャラだったよな、ってこと。思えば、子どものころから、真面目で、お人好しで、世間のダークサイドにうとくて。
 ユタロウは、オレとちがって、最初から、危険な香りただよって、かっこよかった。
 かっこいい人がボーカルをやるのか、ボーカルやる素質があるからかっこいいのか?
 卵とニワトリ問題。
 オレに勝ち目とか、なんもないですけどね、最初から。
 ただ、まあ、美少女を取り合う二人の男子という構図に、なりそうでいつもならなかったところが、オレたちらしさってところこはある。

 まあ、そもそもミコが、小学生のときにレイプされた経験ある人だから、話は単純じゃないってことも、あるっていえばあるんだけどね。

 さて、駅前の広場に、時間どおり電車で到着したオレたち。
 折りたたみ椅子、そしてマイクスタンドや譜面立てなど入ったデカバックは、黄色い髪の異星人君に持たせているので、おれはスーパーライトケース入りギターだけ、らくらく来場だ。めーん。

 その駅前については、オレは初めて来るところではなかったけど、ライブの場所として考えたことは、今まで一度もなかった。路線バスがときどき発着し、そのエンジン音はやはりうるさい。でも、2路線だけなので、数は少ない。とにかく、広さはたっぷりあって、人通りも明るさもそこそこ。ゲリラライブするには悪くないスペースと言えた。

 時間のわりに、まだけっこう明るいのは、六月だから。関東の、この季節してはめずらしく、空が澄み切っていた。オレンジ色の空が、夜のしじまの紺色に移り変わっていく過程のあやうさ。ときどき街路樹の葉が揺れるけど、風もほとんどない。

 すでにユタロウは、汗かいて機材を車から降ろしてセットを始めてくれていた。オレが「ちわっす」と片手を上げて到着すると、ちょうどそのタイミングだったからか、あるいは気をきかせてか、「オレ、車、駐車してくるわ」と軽ワゴン車に飛び乗って、流れるように去ってしまった。
 ミコは、軽く頭を下げたが、すでにキーボードで音の確認作業に入っており、本番前の緊張感オーラが漂っていた。
 オレも急に、素人みたく緊張してきた。
 やばい。オレ、緊張すると、指の滑りが悪くなって、ミスしやすくなるんだよな……
 
 というわけで、オレもまずは準備の方を。
 実際のところ、屋外でクラシックギターを取り出すなんて久しぶりのことだった。理由はいろいろあるけど、まあ、それはいいとして。
 まず、先にマイクスタンドを組み立ててから、気合いこめて購入したコンデンサーマイクを、そっと国宝茶碗のようにケースからとりだす。話はそこからだ。80グラムほどの小さな命を赤子のように手の中に感じながら、そのメタリックな輝きを愛でる。そして、匂いをかぐ。この瞬間がたまらない。そして我が国宝を、マイクスタンドに優しくセットする。位置的にはギターのネック12フレットあたりをねらって。距離は20センチほど。近すぎると爪音が立ち、離しすぎると音がぼやける。そのへんは、演奏しながら微調整ってことで。
 ちなみにオレはピエゾとかの内蔵マイク類は使わない人。音の大きなライブなら内蔵の方が便利なんだろうけど、自分としてはかなり無理めのマイクを買っちまったもので、そこはご理解NG案件てことで。
 そんな高級マイクから出る高級信号を、今日はいささか安っぽい電池式ファンタム電源(すみません借り物なのに)をかましてから、アンプに直差しする。いや、アンプの実物を見てみると、こういうのはアンプと呼ばず、むしろPAシステムと呼称すべきなのでは? 一台15キロのヘビー級。しかも二台をステレオ配置。電池駆動でもここまで来れば音の迫力はかなりのものだ。まあ、ミコも一時期はメジャーに関わっていたから、ある程度資金があるのはわかるけど、よりによって女子がこんなもの買いそろえちまって、いったい何を目指しているんだか。

 なんにしても、機材をつなぎおわって、音を出すと、やっぱ、音楽って、いい。それは、ホント。
 はっきり言って、音楽はすべてを優しく気高く包み込む。
 だから、ミコのキーボード演奏は『温かい』のだろうか?
 そういえば、昔「なに言ってるのよ、温かいのはギターの音色だよ」と言い返されたことあったっけ。一片の羞恥心もなく、ド直球で。キャッチーだってそんな球受けたら手がしびれるっつうの。オレは心のなかで「がんばって顔色かえずにやりとりする気にもなってみろ」とおもわず叫んだぜ。口には出さなかったけど。
 
 まあ、なんにしても、せつないものだ。
 時間のながれというやつは。
 大切なことが、たくさん過去に消えていき、今という、地味で、みじめな、少し大人の現実に、取りのこされて。
 でも、今は、今なりにあがくことも、きっと意味があるはずだ。
 今のあがきが、未来からふり返れば、また、美しく輝いて見えるかもしれないし。
 
 それにしても、もともともミコの本業だったキーボード演奏がうまいのはともかく、久しぶりに聞いたボーカルこそ、恐ろしく進化しているんですけど!? むしろ進化しすぎて、疑問に思えるほど。誰に指導してもらったんだ? まさか、エッチこみの密着指導?
 なにより、よけいな力、きれいにぬけている。すごくいい感じ。声に余裕があるから、透明感がきわだつ。本人の性格の雑なところや、力みや、性急さなんか、悟らせないほどすっきり消えて、温かで清らかな人間味だけが、ほどよいボリューム感で伝わってくる。これは確かにコンプレッサーとかで作った音じゃない。ここまでくれば、もう、だれだって耳を傾けないではいられない美声ではないか。ただカラオケがうまいのとは完全に次元が違う。アイドルが天然かわいいのと同じくらい一種の美音ウエポンだぜよこれは。

 ミコの見た目の魅力については、高校時代からいわずもがなだった。少なくともオレはそれに感じ入って、バカっぽいアプローチをしかけたのだ。当時の状況は、ミコは他校の女子で、電車ですれ違う程度だったにもかかわらず。もとい『電車』じゃなかったけど、まあいいやめんどくさい。
 とにかく、なんだかんだで二人の友情関係が始まったけど、今や、見た目だけじゃなく、声もかよ。美声なのかよ。なんなんだこれは。人生のゲームバランス崩壊じゃんよ。私は訴えるぞ(≧◇≦)

 でも、声の魅力は、やっぱ、努力かな?
 うん、やっぱ、努力。努力は、大切、ってことにしておこう。

 渡されたコード譜を、風に飛ばされないよう譜面台にクリップでとめて、ミコの美声によりそうように、定番のアルペジオ弾いて様子をさぐる。もどってきたユタロウが、アンプのイコライザーなどを調整してくれる。

 かつて、出会ったときからビックリ仰天レベルの魅力的な女子だったミコ。オレは、じつは、ときどき彼女の演奏する姿をネットで目にしていた。オレが大学を卒業して、就職した会社を辞めて、アルバイトをはじめた頃から、彼女はメジャーデビューしていた。リードじゃない。キーボーディストとしてのバックメンバーだったが、バンドはそれなりに売れて、大会場ライブも経験しているはずだ。ネットでチェックしたミュージックビデオでは、白や黒の作り込んだ衣装で、長髪を乱しながらキーをたたく姿がめっちゃかっこよかった。あるいは仲間といっしょに猫をかわいがったり、夜の街を歩くシーンが挿入される。こちらの胸を直撃する笑顔とか。そのバンドは、なんかの(事実関係は非公開)トラブルで早くに解散してしまったわけだが、そんなメジャーだった人が、今また、こうして、ここで、音を奏でる。

 なんにしても、音は、音だ。
 これ、知らない人には理解しずらいかもだけど、音によって、たいがいのことは伝わってくる。
 感情も、意思も。
 好きも、きらいも。
 目に見えない二人の心が、自分たちなりの確かさで歩みよる。
 近づきがたく、でも、離れがたい心。

 まあしかし音楽ってやつは素直なままじゃつまらない……というわけで、こっちがあえて音に変化を持ちこむと、それに応えて大胆に展開していくしなやかなミコの指先。
 やっぱ、こんなことを自分で企画するだけあって、気合い入ってるし、調子もいいみたいだ。
 ぐいぐい先へ引っぱられる……

《ユタロウは、いい人よ。でも、つきあっているのとはちがう》

《コノハも、いいやつだった。 つきあいたかったよ。可能なら》

 ストレートに伝わるたがいのホンネ。
 今はもういない、少女の記憶。
 オレは、苦笑する。
 何やってるんだろう、オレ。
 本当はもっと、その死に、意味を持たせてあげたかった。確実な、意味を。それが自分たちの役割だったはずだ。しかし、結局、オレにできることといえば、ストリートライブ。週四日は居酒屋バイト。魚や貝を焼いて。焼きハマいかがっすか、って。で、うちでは汗臭いオヤジの下着を洗うとか。

《時間、重いよな》

《うん。重かったよ》

《つらかったことは、オレも、わかっているつもり》

《君がいたからだよ。だから、私は、私でいられた》

《そうでもないだろ》

《本当だよ》

《素直すぎ》

《そうかな?》

《つきあったわけじゃ、ないんだから》

《そうだけど》

 で、そのあと何を投げ返されるか、と思ったら、意外にも、やさしい新メロディを弾き始めるミコ。まるでひざ枕のようなソフトタッチで。
 なんだ、やっぱりミコはオレのことが好きなんじゃん、って音に表されてしまうあられもない真実に直面し、オレはまじであせる。いまさらですか? 高校時代に近づいといて、最高いい感じだったのに、そのまま何もなく離れて。悪いけど、今のオレは、居酒屋のバイトで食ってるダメミュージシャンですよ?
 彼女の想いに素直になれず、切るようなクレッシェンドでDを半音上げる。すると、ミコは、まってましたとばかりに食いついてきて、複雑怪奇な黒鍵世界に展開し、オレの音楽才能のなさをあざ笑うかのように完全に置き去りにした。ショパンの曲で聞くような調の展開。

 そんな展開、ついていけねーし。
 てか、キー、わかんねーし。

 ま、ついていけないんだから、しかたない。オレは手を止め、キーボードソロの見せ場、ということにして休憩。ギターを抱えるようにして肘をつく。
 しばしスタンウェイ音源の華麗なキーボードソロが続き、さらにパット系のストリングスもかぶせて、宇宙的広がりを演出する。
 オレがすっかり聞き惚れていると、ミコはオレに視線を投げてきて、お仕事よ、とせかす。
 しますします、とオレ。
 宇宙的な広がりに、一輪の花のような日常感。それがナイロン弦ギターの音色。音楽が地に足をついた感じになる。こういうのは、たしかに生楽器のいいところだ。

 そんなこんなで、長めのアドリブ付きで、何曲かこなした。
 正直、わからなくてごまかしたところも少なくないけど、基本的にミコの声質に、オレのナイロン弦ギターは、よくあっていた。鉄弦の響きでも、ラテン系の響きでもない。ほとんどエフェクトもかけていない、ナチュラルで、クラシカルな音色。

 そしてエンディング。
 時間、どのくらい経ったんだろう?
 予定していた曲名リストを消化したので、ま、よしとする。
 意外に人が集まり、拍手をもらったので、調子に乗ってアンコールをひとつ。
 ミコの自作CDから、ラストに流れるナチュラルバラード。
 わるくない。
 オレは、アルベジオで拍数が変わるところをまちがえないように気をつけながら、それでも、ミコの清らかな歌声の、その美しすぎる響きに、心がせつなくなってしまう。
 オレも調子に乗って、最後はギターでソロをした。ピアノが止まって、ギターだけ。
 さすがに即興状態でこの曲のメロディとアドリブを同時に弾くのは綱渡りだったけど、妙に音がよく聞こえていたし、音が聞こえているときは、ある程度やれると自分でわかる。無理しなくていいんだ。いいものだけを選りすぐれば、ちゃんと自分の世界を創っていける。そうやって、フィードバック的に自分でわかる部分があるなら、問題なし。

 そして最後に、二人の音が、あわさって消える。
 本日終了。
 ミコが、天使のような声で「ありがとうございました」と集まった人々に丁寧に例をのべる。

 確かに人はけっこう集まってくれていた。
「素敵な演奏です!」
 と、黄色い髪の少年は、まわりの人たちがやっているのをまねして、手をたたいてほめてくれた。
 でも、近くに立って聞いていたユタロウは、喜んではいない表情だった。

「ユタロウ?」
 とオレはギターをケースに入れて、立ち上がって声をかけた。
「あのさ」と、ユタロウは、やつらしいクールさで、下を見て「ちょっとな」と。
「なにか、かくしてる?」
「たぶん今日が、最後になるかも、ってな」
「最後ってなんだよ」
 重苦しい気持ちがオレを包み、オレは思わすミコを見る。
「わりぃ、そういう意味じゃないわ。あいつは関係ない。ただ、オレがいそがしくなりそう、っだけの話」
「仕事?」
 ちなみにユタロウは新人男性声優のような立場。
「今度はゲームのレギュラー。めっちゃ悪役だけど、手は抜けねえんだ」
「ボヤッキーみたいなやつか?」
 彼は全くボヤッキーらしくない地味な笑みを口元に浮かべて「まあそういうことにしとくよ」とうなずいた。
「おめでとう」
「祝ってもらうほどの成果じゃないが、『本』は大量でさ。とりあえず、ミコのこと、たのむわ」
 たのむ……?
「ミコは……大丈夫なのか?」
 と、オレが実験的に発してみた問いに、彼は極めて冷静に応えた。
「精神的には、安定している」

 精神的?
 なんだそれ?

 すると、ミコが、機材の横で倒れた。
 正確には、急にかがみ込み、血を吐いた。いや、さらに正確には、その手にはトマトジュースの缶が握られていたので、むせてトマトジュースを吐き出した、のかもしれない。
 黄色髪のリュクラが、サッとかけよって、すぐさま何かを胸元からとりだし、彼女の肩に当てた。するとミコは淡く光り始めた。おい、なにしてんだよ、と声をかけるまもなく、夜の歩道で、淡い光がミコを包んだ。
 それは、黄色髪の世界の治療らしかった。
 ミコはあとで「むっちゃスッキリした」とあられもない感想を吐露していた。

「あれ、なに?」
 オレは、数分間のあやしい出来事がおわると、すぐに黄色髪の腕を引いて横に連れてきて、ないしょばなし風に問いただした。 
「セックスです」
「はあ?」
「これでだいぶよくなります」
「よくなるって、よくなるなら治療だろ?」
「あ、そういう言葉かもしれません」
 ……
「すみません、まだ、正確な表現が、わからなくて」
「あのさあ、セックスって言葉の意味、知ってる?」
「道具を使って、人をいやすこと、かと。知っていたつもりですが、その反応は、やはり、ちがうのでしょうか……」
 道具を使う? それ前提ですか? 地球人の生態は宇宙にゆがんで伝わっているらしいが、なんのせいだろう? とにかく、オレは撤収作業を始めていたユタロウに「悪いけど、こいつにセックスの本当の意味教えてやって。かんちがいしてるから」と声をかけたら、バッチリ聞こえて笑っているミコが機材の裏にいた。トマトジュースの仕込み、それわざとだろ、ってあとで追求しよう。

 さて、さすがにもう、暗い。
 駅の前は明るいけれど、ここは少し離れていて、基本的に人通りは少ない場所だから。
 集まっていた人たちも、去っていく。
 見上げれば、闇と、星。
 そよ吹く風が、めちゃここちよい。
 六月なのに。
 いや、六月だからか。
 オレたちの、最初の始まりも、そうだった。
 六月のローカル電車で出会って、オレたちは男子高校の文芸部員で、バカまる出しでミコに声をかけて……

「ねえ、アサヒ君」
「ん?」 
「ゆきのーが、パイナップルの差し入れしてくれたよ」
 とミコに言われて、視線を送ると、うわっ、ふっくら系の草色ワンピース姿、かわいすぎて、マジヤバなんですけど。
「あ、雪乃さん、どうもひさしぶりっす」
「私、アサヒ君がギターやってるのは知ってたけど、初めて聞いたな。素敵な音ね」
「いや、今日はアンプ直差しなのでこんなもんですけど、スタジオでちゃんと加工すると、もっとだいぶ良いんですよ」
「へー、すごいね。パイナップル、好き? たくさん切ってきたの」
 オレは苦笑して「この世の中で、パイナッブルと梨以上に好きなものはないっす」と力強く断じた。
「じゃあ、私、かたづけ手伝うから」と雪乃さん。「二人はおつかれさま。これでも食べて、のんびりしていて」
「いや、自分、かたづけ、てつだうんで」
 とオレが雪乃さんの気づかいに反して行動しようとすると、ケーブルをまいていたユタロウが「いいから二人で反省会してろ」と、鋭い目でオレをにらんだ。

 はいはい。おたくのボディ、痛いっすからね、と経験者として納得。
 まあ、音楽的に反省するところはいろいろありますよ、てか、そもそも和音、半分以上わかんなくね? 実はダメダメ?
 でも、そういうことは、今はいいのさ。
 今すぐどうこうできるもんでもないし。
 大切なのは、べつのこと。
 
「正直、ボーカル、それほどうまくなってるとは思わなかった」
 と、オレがあらためてミコに正直な感想を伝えた。
 オレたちは、水のない乾いた噴水のヘリのブロックに腰掛けて、ジューシーなパイナップルの甘い余韻に包まれた。
「アマチュアにしとくの、もったいないくらいでしょ?」
「自分で言う?」
「他に言ってくれる人もいないもので」
「そうかな。そうでもないだろ?」
「キーボードならいろいろあるけど、歌は完全自前だからね」
 とミコは自虐的に苦笑した。
「ボイトレとかいってない?」
「うんん。仲間からコツを教わったりはしてるけど。基本、我流ね」
「ま、ヘンに教わるより、自分で探求するほうがいいってこともあるからな」
「オリジナルなのも、案外いいもんでしょ」
「いいもん、っていうか、むしろ、めっちゃよかった。よけいな力ぬけて、透明感あって」
「ほんとに?」
「ああ。ナチュラル・ビューティ。本人がナチュラル・ビューティかどうかはべつとして」
「もう!」
「ある? 透明感?」
「さあね。おしえてあげない」
 オレたちは、汗だくスポーツのあとのように、さっぱりと笑った。
「ねえ」
「ん?」
「アサヒ君、また、しよう」
「そうだな」
「しよう。これから、私たち、たくさん、しよう。ね!」
 オレは、否定しなかった。
 ミコの目を見てうなずき、商談成立。

 年上。しかも、格上。しかも、美人で、美声。
 そんな人に勧誘を受けて、しがない居酒屋アルバイターミュージシャンのオレに、どうしろと?

 ま、いいか。
 人生経験貧困な若輩者だし、考えても始まらないし。
 こうして、また、夏がくるんだ。

 ミコ、君にもワッツが、共にありますように。
 オレは祈る。
 心から。

 リックラさんの郷里にも、幸福な未来あれ。
 音楽を共有したら、君も、もう仲間だ。

 とりま、ストラーおつかれさま、ってことで……焼きハマ、食べます? 


6


 オレが高校二年のことだった。夏休みが終わり、二学期が始まって早々に、ミコから短いメールが届いた。
 もちろん、予感はあった。予感というか、必然というか。事情が事情だけに。見て『知る』ことが、怖かった。
 で、やっと開いた、内容は、
 
 《コノハは去りました》

 去った。そうでしょう。そうかもしれない。『死』であることは理解できた。一線を越えたのだ。しかしそこには同時に、二重の意味が含まれていた。コノハの死。しかし本当は、コノハが去ったのではなく、逆にオレたちが取りのこされたのではないか……

 その週の日曜日に、オレたちは集まった。リアルのお通夜や葬式はない死だったし。
 ミコが通う鶴井女子高校へ。
 いちおう文芸部という名のもと、オレたちなりのコノハを送る儀式のために。

 ちなみにオレは、それが生まれて初めての経験だった。女子高に足を踏み入れるなんてことは。いや、女子の通う高校、って意味でも。だってうち、男子校だから。男子高校生の『文芸部』という地味な集まりと、他校の女子との交流、というのが、いわば客観的なオレたちの社会状況だったわけだが。
 ついに来てしまった女子の花園……しかし緊張するとか興奮するとか、そういう男子高校生らしい感情は全く生まれてこなかった。
 だって、みんなわかっていることだったし。タダスケも、ユタロウも。それぞれに肩をすくめて、ガラにもなく優しい言葉を掛け合ったりして。

 それは……確か……雲の多い日だった。夏の暑さはやわらいでいたけど、スッキリとした秋日和まではまだ少し早くて、中途半端で、印象に残りづらくて、たぶんいにしえの万葉歌人もさすがにこれはネタにしてつっこめないぜ、的な。まあ、現実ってやつは、そんな日もあります。

 白シャツ黒ズボンの制服姿で、男子高校生三人が鶴井女子校に着くと、まず、入校手続きをとった。
 メールで「着いた」と知らせると、すぐに夏制服姿のミコと雪乃さんが校門の外に向かえに来てくれて。そのとき、ミコは、うつむいたまま、普段の饒舌さは消え、ほとんど言葉を発しなかった。かわりに色白でふっくら体型の雪乃さんが、甲斐甲斐しくオレたちに入校手続きを説明してくれた。まず守衛室の来校者名簿に名前を書き、生徒手帳を掲示して、警備員さんから入校バッジを受け取り、シャツの胸にピンでとめる……
 あたりまえの行為だ。でも、なぜか、オレは心の中で強い違和感を感じていた。女子校だからということではない。コノハが消え去ったという、その存在の大切さに向き合おうとしている自分たちが、なぜこんな日常の手続きをしなくちゃいけないのか。そのこと自体が、形容しようもないほど醜悪で。現実というバカげた監獄。しかたないってわかっているけど、悲しいほどみじめで。

 我々は、ほとんど会話もなく、しんとした廊下を、講堂にむかった。現実というオリにとらえられた囚人……ま、いいか。
 講堂のことは、よくミコから聞かされていた。そもそも最初に出会ったときの話題が、それだったと断じても過言ではない。ミコにとって放課後の『ピアノ練習所』だったからだ。練習あとに半端な時間に帰るから、オレたちは遭遇した、という経緯とか。
 話に聞いていたかぎり、オレとしては、普通の音楽教室をイメージしていた。いや、音楽室は吹奏楽部が放課後は使うから、講堂のピアノってことで、いわば準音楽室的な? しかし着いてみると、めちゃ広い階段教室だった。ちょっとした音楽ホールのよう。正面にライブステージさながらの教壇があり、オブジェのような教卓が真ん中に置かれ、その横にはグランドピアノ。

 ピアノのフタは、すでに開かれていた。
「みんな、適当に座って」
 と、教壇にあがったミコが言った。その上履きと、声の、ナチュラルな残響に、あらためて広さ・深さを実感してしまう。オレたちは近くの席にばらばらと腰掛けた。座ってから、ふと風を感じ、周囲を見回すと、窓がいくつか開いていた。先に開けてあった。何かの花の匂いがする初秋の風が、ゆっくりと通りぬけていく。

 それまでかがみがちで、前髪で顔が隠れていたミコは、たった一人教壇に残り、ピアノの脇に立つと、急にきりっと姿勢を正した。視線を真っ直ぐに上げ、その視線が空間を瞬時に飛び越え、オレの目に入ってきた。突き刺さる。

「これから、ショパンを弾きます。コノハが、大好きな曲でした。ショパンの美しさのまえには、なにもかも吹き飛んでしまう。彼女は、実際、そう感じていました。音楽を感じる心に、時代も、国も、関係なかった。そういう私たちだって、日本人だし。でもそんなこと、全然関係ない。本当に、そう思います。時間とか時代とかも、音楽の前では、無意味です。だから、本当は、追悼とか、儀式とか、そういうことでもなく、ただ音楽でつながりあっていたことを、もう一度はっきりさせたい、そんなかんじ。完璧な演奏にはほど遠いけど、頑張って弾きます。今日はみんな、来てくれてありがとう。ショパンの練習曲から、25の1と、10の3」
 ミコは一瞬頭を下げると、直立姿勢からピアノ椅子に移動した。白と紺の制服姿の女子がピアノを前に座ると、ミコだってひとりの女子高校生だったんだ、という、みょうに不思議な感覚におそわれた。
 手を鍵盤、足をペダルに仮置きして、腰掛ける位置を微調整し、それが済むと、いったん背を真っ直ぐに伸ばし、目を閉じた。

 やがて、演奏が始まった。
 死ぬほど優しいタッチ。ふわふわとした赤ちゃんの笑顔のような音色。
 オレは突然スコンと床が抜け落ちる錯覚に襲われた。こんなものがこの世にあったんだ、って。美しすぎる。美の暴力だ。ありえない。
 でも、話はそれだけではおわらなかった。二曲目は10の3は、番号ではわからなかったけど、聞けばすぐにわかった。『別れの曲』だ。べたな選曲だけど、演奏は普通じゃなかった。何が普通じゃないって、何もかもだ。ひとつひとつの音全てが、肉に刺さる弾丸のように本気で。
 目を固く閉じる。ミコの奏でる音楽の存在感と、説得力と、温かい破壊力の前に、オレたちに出来ることは、ただ目を固く閉ざし、血の涙をあふれさせることだけだった。それしか、できない。できなかった。

 オレたちの一夏のストーリー。
 そう、ストーリーを受けとっていた、確かに。
 音楽と混ざり合って。
 リズムから押し寄せてくる記憶は、少女の命のはかなさと、無垢な夢、愛。

 結局、なによりも救いだったのは、ショパンの調べだった。
 ミコの語った通りだ。音楽によって……いや、音楽だからこそ、なにもかもが吹き飛んでしまう。この世の全ての問題なんか、なくなってしまう。
 不器用な高校生たちが、不完全なまま、ここだけの特別な空気につつまれ、光の繭に彩られていく。

 コノハ、君が聞いた音楽は、確かにある。
 いつまでも。

 ていうか、時間なんて、最初から、君には関係ないことか。




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