ARIA劇場版シナリオ案



ARIA
 〜ネオベネツィアの休日〜




【オープニング/パガニーニ、バイオリン協奏曲】

クラシック演奏会のステージ。
バイオリンコンチェルトの演奏中。

〜曲「パガニーニ作・バイオリン協奏曲1番、三楽章のコーダ部分」〜
(演奏ラスト約2分、この間にオープニングロール)

成田達輝さんによる演奏例、35分50秒〜)



バイオリニスト・山鹿巧(やまがたくみ)が華麗な終楽章を弾ききると、満場の拍手。
彼は汗をぬぐい、笑みを浮かべて、指揮者と握手する。

巧は、客席を見回す。
(巧視点で)ステージからみた客席……

巧の独白「……よい演奏だったと思う……でもまだ、何かが、たりない……」


【コンサート会場地下のスタッフ通路】

巧がステージ衣装のまま、裏通路の長椅子に腰掛けている。
オーケストラ団員たちのリラックスした雑談が遠くから聞こえる。
メガネをかけた女性マネージャーが靴音を響かせてやって来る。

マネージャー「よかったですよ、巧さん、今日は特によかった」
巧「そうだと、いいんですけど」

彼は頭を後ろの壁につけて、天井を見上げるような姿勢になって、目を閉じる。納得いかないことがあるかのように。

マネージャー「さっそくで申し訳ないんですが、すでにロビーの方で、お客様がたがお待ちで……」
巧「あ、はい」

巧は両手で顔を一度たたき、立ち上がる。
二人は歩きながら、話を続ける。

マネージャー「巧さん、楽器は?」
巧「楽屋にしまってきました」
マネージャー「もう? しまってきて、座っていたんですか?」
巧(苦笑して)「あ、いや、すぐにロビーに行こうと思ったんですが、ちょっと考え事を……」
マネージャー「……あのこと?」
巧「ええ、すみません……なんというか、まだ、自信が持てなくて。今日も、正直、やはり客席が、遠く感じられて……」
マネージャー「それは、つまり『お客様の反応』という意味?」
巧「いえ……たぶん、そういう意味ではありません。むしろ、僕自身の問題です。あせり、ってことなんでしょうか。みんなの心を……ネオ・ベネツィアの何かを、僕がまだ、聞けていない。たどり着けていない、という気がするんです」
マネージャー「ネオ・ベネツィアの何か?」
巧「そう……本当は見いだすはずだったんです。来る前の予定としては。きっと、何かが、あるはずなのに……」
マネージャー「まあ、残り少ないですから、しっかり悩んでください。で、予定の確認ですが、最終日は、やはり元のプログラム通り、ですわね?」
巧「そうですね。今日の感じだと、しかたがないでしょう……せっかく用意してもらった皆さんには、本当に申し訳ないのですが、リスクのある冒険はできません。なにせ公式イベントですからね。メンデルスゾーンでいきましょう」
マネージャー「わかりました。でも、後悔は?」
巧「後悔なんて言ったら、メンデルスゾーンに失礼ですよ。それに、指揮のアル先生は、メンデルスゾーンをやりたかっていた」
マネージャー「たしかに責任者は失敗を恐れるものですわ。まあ、機会はきっといつかまたあります。あなたが自信を持てるとき、挑戦なさればいい」
巧「わがままばかり、本当にすみません。自分は幸せ者です。それにしても、あと一回だけなんですね。この星、アクアで演奏できるのは……」

二人がドアを開け明るいロビーに踏み出すと、集まっていた人々から歓声と拍手がわき起こる……


【夜のネオベネツィア】

〜BGM「鐘楼のパトリ」〜

ライティングに浮かぶ夜の教会のシルエット。

身体をなめる白いネコ。何かを感じて、立ち上がり、さっと走り去る。

月明かりにきらめく水面。波が静まり、映った月が明確になるが、また波が来てかき消される。

波にゆらぐ荷物用のゴンドラ。

どこからともなく響いてくる、パガニーニのテーマを歌うよっぱらいの声。男女の笑い声。


【ホテルのレストルームにて】

コンサートの後、ホテルのレストランで晩餐に出席していた巧は、用をたすために席を立った。
レストルームで、旧友のオーケストラ団員エリックと出会う。

巧(入るなり、声をかける)「よう、エリックじゃないか、まだ残っていたのか?」
エリック(ちょうど用足しを終わったところ)「しがないオーボエ屋としては営業もしとかないとな。しかし、年寄りの長話は苦手だよ、あたしは」
巧(用をたしながら)「僕も同感。しかし、エリック、今日のアダージョは、マジで最高だった」
エリック(鏡の前で手を洗いながら)「高名なソリスト様に言ってもらえるとは光栄だな」
巧「オーボエの音色、やたら、つやっぽかった。彼女でもできた?」
エリック「いや、そういうの、関係ないから。それより、巧こそ、なんだよ。あいかわらずめかし込んで」
巧「これは『仕事』だから」
エリック「そりゃあ、まあ、そうだろうけど、しかし、あと少しだろ。最後くらい、はめを外してもいいんじゃないか?」
巧「うん……まあ、いちおう、明日はゆっくりするつもり」
用を済ませた巧が洗面所に来ると、エリックが嬉しそうに話をつづける。
エリック「おまえ、もしかして、明日はオフか?」
巧「まあな。全休。リハもない」
エリック(真顔で驚き)「おいおい、リハのない全休って、珍しくないか?」
巧「その通り。はっきりいって、この星に来て三ヶ月、初めてのゼンキュウだよ。ま、だからって、べつに予定なんか入れてないけどね」
エリック「はあ? 水くさいな。かくすなよ。なあ、女か? 女なのか? そうなのか?」
巧「かくしてないって。最後くらい一人ですごしたくて。考えごと、してみるよ」
エリック「考える? いまさら何を?」
巧「音楽のこととか……」
エリック(おどけてバイオリンを弾くふりをして)「いっそ方向転換してエレキバイオリンでもやるか?」
巧「そういうことじゃなくて……なんていうか、アクアに来た意味が、まだ十分消化しきれてない感じなんだ、自分の中で」
エリック(真顔で)「やっぱり、そうか。だから……最後、メンデルスゾーンなんだな。聞いたぜ」
巧「わるいな」(かたをすくめる)
エリック「もちろんおまえが悪いわけじゃない、が、やっぱ、残念だよな。少なくとも、オレたちは楽しみにしていたんだぜ」
巧「うん、わかっている……」
エリック「アクアの作曲家レヴィコフのコンチェルトに、山鹿巧が華麗なカデンツァをアレンジする。最終日にふさわしい出物になるはずだった」
巧「僕だって、やりたいさ。やれるものなら。でも、できない。むりしても、結局、音が平凡になるのがわかってる。ウソはつけないんだよ、音楽ってやつはね。今日のステージで再確認した。やっぱり三ヶ月じゃ足りなかったんだ……」
エリック「指がいくら動いたって、それだけじゃあ、やっぱ、わかるからなぁ」
巧「ああ」
エリック「せっかくマンホームから来てくれたというのに」
巧「君にはまだ言ってなかったと思うけど、うち、じつは祖母がネオベネツィア出身でさ。小さいとき、いろいろ聞かされてたんだ。素朴な日常、昔ながらの暮らし、とかね。何かを見つけるって、ずっと期待してたんだけど」
エリック(ためいき)「しかたないな。そういうことなら、エリック様が、残念会につきあってやるぜ。明日と言わず、今からオフにしよう。さっさとずらかろうぜ」
巧「ずらかって、どうする?」
エリック「気を使わずに飲める店くらい知ってるさ」
巧「まじか。よし、そうしよう。そうしてしまおう。晩餐会なんかどうでもいい」
エリック「関係者には『夜更かしは指に負担をかけますので』とでも言っておけ」
巧「僕、ワインが飲みたいな。上品なやつじゃなくて、とびきり下品で、悪酔いしそうなやつ」
エリック(丁寧に頭を下げて)「慎んで、ご注文、承りました。で、誰か、さそうか?」
巧「いや。気を使うのはカンベン。二人がいい。急いで挨拶だけしてくる。10分後にホテルのロビーでどう?」
エリック「了解」
巧「いや、まって。着替えて行くから15分後で」
エリック「そんなこと、どっちだっていいよ。お互いまずい寮メシ食って育った仲だぜ。まっててやるよ、いつまでも」
巧「わるいな」


【酒場にて】

こじんまりとした酒場、その奥まった席で痛飲する巧とエリック。
二人はラフな私服に着替えていた。

エリック「だいたいさぁ、なんだよ、あいつら」
巧「そうだ、ほんとーに、そうだ」
エリック「おまえ、さっきから『本当にそうだ』ってばっかりだな。おもいきって、本音をぶちまけてみろ」
巧「そうだ、しっかりしろ」
エリック「おまえのことだ」
巧「はーい、おねえさん、このワイン、もう一本いい?」
エリック「ついでにフリッターもおかわりね〜」
カウンターの中のおばあさんが微笑んでうなずく。
巧「さて、そろそろ帰るか」
エリック「ばか、なにふざけているんだよ。悩んでいるんだろ。聞いてくれる人がいないんだろ。だからぁ、オレが聞いてやるって言ってんの。不満なのか、え?」
巧「エリック」
エリック「なんだ?」
巧「僕たちって、どこにいるんだろうな」
エリック「ま、いちおう、ネオベネツィアの安酒場ですけど? キュウリがうまい、ぽりぽり」
巧「僕はさあ、音楽を信じていないわけじゃないんだ。そういう悩みじゃなくて、うまくいえないけど、ときどき、どこにいるか、わからなくなる」
エリック「おまえ、ボケたのか?」
巧「かもな」
エリック「早すぎだろ。ワインが足りない、飲め」
テーブルに届いた新しいビンから、エリックはさっそく巧のグラスに注ぐ。
巧(ワインの充ちたグラスを見つめて)「音楽を信じれば信じるほど、音が遠くなる瞬間がある。こんなはずじゃなかったのに、って。……人は、何を聞いて、拍手してくれているのかな? 有名人に盛り上がっているだけ? それだけが真実か?」
エリック「それが『ビジネス』だろ。ガキじゃないんだ、何を今さら。いっとくが、いくらバイオリンが上手くても、いや、たとえ神がかり的でも、それだけじゃあファンはつかねぇよ」
巧「わかっていますよ。わかっているけど、全部がそれじゃないだろ、って話。技巧と見た目、それだけだったら、悲しすぎる。そんなの、音楽ですらない。どうなんだよ、そこんところ」
エリック「まあ、しかし、おまえが頭抜けてうまいのは事実だからな」
巧「わずかな差だよ。それに、エリックに認められても、うれしくないし」
エリック「しかも、君はめかし込んで、女たちをたぶらかしている」
巧(やれやれ、と首をふって)「ま、べつに、エリックに全てを投げかけようってわけじゃないんだ。たださぁ、なにか、こう、もっと足が地に着いた、確かなものを求めたくなるんだよ。だって、芸術って、ときに武器よりも強いものだろ。芸術が人をつなぎ、国境信条を超えて、平和を創る。世界を変える。歴史を変える。人の生き方を変えてしまう。それこそ、リアリティってもんだ。そういうのが欲しいんだ。カタチにしたいんだよ」
エリック「リアリティか……なあ、巧個人にとって、人生のリアリティってなんだ?」
巧「僕のことなんて、平凡になっちゃうな」
エリック「たとえば?」
巧「マクラの匂いとか、一杯のコーヒーとか」
エリック「恋愛はどうよ」
巧「え?」
エリック「おまえ、そっちの方、最近どうなの、ぶっちゃけ」
巧「しばらくつきあってない。いろいろややこしいし、時間をむだにしたくないし」
エリック「う・そ・だ。時間なんてどうにでもなるだろうが。そのためのマネージャーさんだろ。第一、おまえに理解ある人とつきあえばいい」
巧「理解ある同業者なんて、ぜんぶダメ」
エリック「どうして?」
巧「魅力を感じないんだよ、異性としての」
エリック「そこ、断言しちまうか? まあ、わからなくはないけどな。ライバルだし」
巧「競争心うんぬんはおいといても、仕事が入りこむと、萌えるものも萌えない」
エリック「しかし、同業者じゃないと、おまえの立場を理解してくれない、だろ?」
巧「ま、そういうこと」
エリック「つまり、オレたちの恋人は、楽器のみ、ってか?」
巧「それはそれで、悪くないけどね〜」
エリック「ばーか」
エリックが二人のぐらいにワインをこぼれんばかりに継ぎ足し、二人はそれを一気に飲み干す。

店を出て、夜道をふらついて歩く二人。

エリック「おい、オレ、眠くなってきた、マジ、眠い」
巧「え、もう?」
エリック「そんだけ気合い入れて演奏してやったんだ、感謝しろぃ」
巧「なあ、エリック、 海、見ようぜ、海!」
エリック「やーだ。オレ、無理。帰る」
巧「かえんないでよ〜」
エリック「たのむ。海くらい一人で見てくれ。オレの一番の願いは、ベッドなの。わるいけど」
巧「えーりーっく、ねー、オーボエの達人〜」
エリック「ほら、帰りはな、この先に行って、橋の向こうに出れば、エアタクシーよぶボタンあるから。自分で、やれよ。じゃあな」
エリックは巧を振りはらって去っていく。
まもなく建物の向こうで、一台のエアタクシーがやってきて、垂直に着陸し、また浮き上がって飛び去っていく。
巧は残され、鼻をすすって、ふらつきながら路地を歩いていく。

巧「お〜い、海〜、海はどこですか〜、かくれてもだめですよ〜、なんてね。酔ってても、ちゃんと地理は知っているのさ、予習してきたかんね。あれが大聖堂だから、右ね、右へまいりまーす」

巧が海辺の道に出ると、手すりに寄りかかって、真顔で静かな海を見つめた。一度深呼吸をして、ふと視線を落とすと、小さな桟橋に着けられたゴンドラを見つけた。カバーが掛けてあるが、その下にはシートがあるようだ。
彼はふらつく足取りで桟橋を下りて、カバーを振りはらい、不安定なゴンドラに乗り込む。揺れにとまどうが、なんとかシートに腰掛けて、置いてあった生地をマクラに、ホッとひと息。
巧「このマクラ、いい匂い」
子供のように微笑み、夜空の星を見上げる。
巧「このまま、どこかに行ってしまいたいな……」

(空想のイメージ)キラキラとした星屑の中を、顔のないウンディーネのこぐゴンドラが、彼を乗せて進んでいく夢。

巧は目を閉じて、眠り込む。




【ARIAカンパニーの朝】

〜BGM「AQUA -reprise-」〜

朝のネオベネチィア

学校に行く子供たち

花屋の軒先に、店主が鉢を並べていく。
学校に向かって走っていく子供たちがぶつかりそうになり、店主が「おいおい、危ないだろ」と小言。
子供たち「すみませーん」
店主「ちゃんと勉強しろよ」 
子供たち「はーい」
そしてまたふざけて「おまえがドジだから怒られただろ」「俺じゃねーよ」と走っていく子供たち。
店主「やれやれ」

海鳥の鳴く朝のARIAカンパニー

アリシアが朝食の用意中、灯里が二階から下りてくる。

アリシア「おはよう、灯里ちゃん」
灯里「おはようございます、アリシアさん」
アリシア「いい天気ね」
灯里「少し暑くなるかもです」
アリシア(窓の外の明かりに目を細める)「そうね、もうそんな季節」
そこにアリア社長が外から大慌てで戻ってくる。
社長「(なななななんか、へんな人いる!)
灯里「どうしました、アリア社長?」
灯里が首を傾げて、外に出る。
アリア社長の指し示すゴンドラをのぞくと、シートで見知らぬ男性が寝ている。
灯里「あわわわわわ、なんですか、この人。アリシアさーん」
アリシアも外に出てきて確認。
アリシア「あらあら。不審な人かもしれないから、証拠写真を撮っておいた方がいいわね、灯里ちゃん」
灯里「はひ」
灯里がカメラを持って来て、ぱちり。
すると男が薄目を開ける。
巧「あれ、なんですか、あなたたち」
社長「(それはこっちの台詞だ!)」
灯里「これ、うちのゴンドラなんですけど……」
巧「え? ああ、そうか……飲みに出て、海、見たくなったんだ」
アリシア「海を見るのはいいですが、ゴンドラで寝てしまったら風邪をひいてしまいますわ」
灯里「アリシアさん、そういう問題では……」
巧「ちょっと頭痛い。飲み過ぎてしまったようです。悪いけど、コーヒー、ありませんか?」
社長「(ふざけんな!) 」
灯里「まあまあ、社長、この人は二日酔いのようです。身なりは悪くないですし、不審者でもなさそうですから」
アリシア「コーヒーなら、上にあがって召し上がってくださいな」
巧(ARIAカンパニーを見上げて)「そ……そうですね」
灯里「じゃあ、お手をどうぞ」
巧「ありがとう」(本気でふらつく)「すみません」

コーヒーと朝食を前にして、男は謙虚に謝罪する。
巧「なんか、申し訳ないです。すごくきれいな船だったので、すこし乗ってみたくなって、そしたら寝心地よくて、ははは」
アリシア「お気持ちはわかるけど、朝になったら人があそこにいたなんてびっくり、こんなの初めてよね」
灯里「あ……いえ、本当は二回目です……」

グリグリ目玉のアイちゃんが、灯里に向かって「お友だち」と言い切るシーンの回想。

社長「(あったね、そんなこと)」
巧(興味なさそうに話題をかえる)「あの船、なんですか?」
灯里「ウンディーネのゴンドラです」
巧「観光用?」
灯里「まあ、そういう言い方もできますが……ウンディーネって、ご存じないですか?」
巧「もちろん聞いたことはあります。でも、もっと大きなビジネスのイメージだったから。普通はずらっと並べてとめてあるでしょ?」
灯里「大きい会社もありますけど、うちは、ごらんのとおり、小さな会社なので」
巧「なるほど、そういうところもあるんですね」
灯里(ほほえんでうなずく)「はい」
巧「ARIAカンパニーですか。足が地に着いている感じがするな……」
灯里「……え?」
巧「そういうことなら、いっそ、今日のガイド、お願いしてみようかな」
灯里「…………え?」
巧「やってもらえますか?」
灯里「でも、アリシアさんは予約が……」
アリシア「そうね、今日はちょっと」
社長「(前回のパターンでいこう)」
灯里「え〜、またですか〜。ちなみにこのARIA猫は、うちの社長なんですけど、言葉がわかるんです。社長の言うところによると『半人前の私・水無灯里でも、お友だちとしてなら、人を乗せていい』という理屈になります」
巧「半人前?」
アリシア「灯里ちゃんは、まだ営業免許を取っていないくて、片手袋の仮免許という状態なんです。でも、うちは、私たち二人しかいないもので」
灯里「でも、お客様でなければ、いいことには、なるんです。たとえば、お友だちとか」
巧「なるほど。じゃあ、それでお願いしますよ」
灯里「でも、これはあくまでお友だちってことなので、お金は、絶対に、ぜったーーいに、払わないでくださいね」
巧「お金をくださいではなく、払わないでください、ってこと?」
灯里「そうです。約束していただけますか?」
巧(苦笑しながら)「これはまた……僕は内心、ぼったくりの観光ガイドだったらどうしようかと心配していたけれど、話が逆になってしまったな」
社長「(おい、ぼったくりとはなんだよ!)」
アリシア(微笑んで)「あらあら」


【二人でゴンドラ + 社長】

灯里のこぐゴンドラが街中を過ぎていく

巧「僕は、たく……タクマです。仕事で三ヶ月前に地球から来たんです……いや、ここではマンホームと呼ぶんだよね、地球のこと」
灯里「はい。私も来てすぐのころは、なれませんでした」
巧「君も地球……マンホームから?」
灯里「ウンディーネに憧れていまして」
巧「それで修行中なわけだ」
灯里「はい。タクマさんは、お仕事ですか?」
巧「そうだね。ずっと。今日はやっとノンビリさ」
灯里「ご苦労様です」
巧「でも、悩んでしまってね。昨日……そうだ、あいつに連絡入れとかないと。電話とか、ないですか?」
灯里「じゃあ、あそこの建物にいきましょう」
灯里が大きな建物(姫屋)を指さす。
巧「公衆電話じゃないと連絡つかないんですよね、この街では」
灯里「はい。いろいろ不便なところもありますが、それも昔ながらの風情と感じていただければ」
巧(優しく笑みを浮かべて)「ウンディーネのゴンドラがいっぱいありますね」
灯里「姫屋さんです。あそこなら間違いなく公衆電話があるので」

ゴンドラを接岸させていると、藍華が歩いて岸から登場。

藍華「どうしたの、あんた、こんなところで」
灯里「わー、藍華ちゃん、ちょうどよかった。こちらの人が公衆電話を使いたいそうなので」
藍華「ホールにありますけど」
巧「ありがとうございます、ちょっとかけてきます」
巧が走り去る。
藍華「ねえ、なによ、あの人? まさか客じゃないわよね?」
灯里「お客様じゃないよ。今朝ね、うちにいたの」
藍華「いた? 『いた』ってどういうことよ」
灯里(言いよどんで)「えっと、飲み過ぎて、ゴンドラで、ねてて……」
藍華「なにそれ。完全に不審人物じゃん」
灯里(あわてて)「でもでも、根はいい人で、品もあるし、ちょうどこの街を観光しようと考えていたみたいで、でも、アリシアさんはやっぱり予約いっぱいだから、私が、お友だちとして、ですね……」
藍華「あんた、誰とでもすぐに『友だち』になるの、いい加減にしなさいよ」
灯里「はははは……、でも前回のアイちゃんとは、ちゃんと大切な友だちになれたし、今回もきっと良いことあるよ」
藍華「だといいけど」

アリスがゴンドラで通りかかる。

アリス「おはようございます。どうしたんですか?」
灯里「今、乗せていた人が公衆電話を使いたいっていうから、姫屋さんによって……」
藍華「また灯里がヘンな人乗せてるのよ」
灯里「ヘンな人じゃないよー。アリスちゃん、あのね、お仕事でこの星に来られて、昨日飲み過ぎて、うちのゴンドラの中にいらっしゃったの」
藍華「あんた、それ、敬語使って説明すること?」
灯里「でも、本当に悪い人じゃないよ」
藍華「男だし」
アリス「男ですか?」
灯里「まあまあ。だって、私のゴンドラには、いつも素敵な出会いがいっぱいなの〜」
藍華「恥ずかしいセリフ禁止」
灯里「えー」

巧が戻ってきた。

巧「おまたせー。これで今日は安心して観光できる」
灯里「あのぉ、タクマさん、仲間の二人を紹介します。ここ、姫屋所属の藍華ちゃん、もう一つの大手、オレンジぷらねっとのアリスちゃんです」
藍華「どうも、藍華・S・グランチェスタです」
アリス「はじめまして、アリス・キャロルです」
巧「こちらこそ、はじめまして。みなさん、ウンディーネ?」
藍華「はい……ま、それを目指してがんばっている研修生です」
アリス「私は、お二人より一年後輩です」
巧「なるほど、修行生か。じゃあ、料金払えないし、お礼がてら、お昼はみんなでいっしょにどうかな? 僕がおごるよ。それくらいはいいだろ?」
アリス「そのまえに、はっきりさせましょう。灯里さんは、まだお客さんを乗せて運行してはいけない立場です。あくまで、お友だちということです。だから、私たちもついていきます。いいですね?」
藍華「そうよ。だいたい男の人と二人だなんて不謹慎よ。ここはしっかり、後輩ちゃんと監視させてもらいますから」
灯里「べ、べつに、大丈夫だよ……」
巧「三人、仲がよさそうですね。いいですよ、いっしょに案内してください。この、込み入った、妙に人間くさい街を」
灯里「タクマさん、なんだか、その台詞、素敵です……」
藍華「まったく、ただ乗り犯のくせに、いいたいほうだいね」
灯里「えー」

街中の運河を進む二艘のゴンドラ。黒眼鏡をかけた刑事のような藍華が、アリスのゴンドラに乗っている。
灯里が街の説明をしながら進めていく。
灯里(苦笑して)「なんか、実技試験みたいだ……」

やがて昼になり、川縁のビザレストランに到着。
ゴンドラをロープで止めて、全員岸に上がる。
灯里が店のドアを開けて、「いつもの席あいてますかー」と声をかけると、店の奥から「あいてるよ」と返事。
灯里「こっちです」
さっそくテラス席に巧を導く。
アリア社長がうれしそうについていく。
そんな和やかな二人に、若干の怪訝さを感じていたアリスと藍華は、少し二人の様子を観察しようと、通路の影に身を隠した。
藍華「なにあれ」
アリス「のりのりですね」
藍華「灯里って、男の人苦手なタイプかと思ってたけど」
すると、ふと、二人は通路にはってあったポスターに気がついた。テラホーミング100周年記念オーケストラ公演、指揮アルトゥール・ミシェルコフ、バイオリン山鹿巧……
そのバイオリニストが、今日のただ乗り犯の男とそっくりだった……

アリス「これ、あの人じゃないですか?」
藍華「だよねだよね。なにこれ。完璧、あの人じゃん」
アリス「間違いありません」
藍華「服はちがうけど、顔と髪型は全く同じ。まちがえようがないわ」
アリス「『酔って現れた』なんて、言ってましたが、本当はどういう人なのか灯里さんは知らないんですね。とんでもないことです」
藍華「そういや、このバイオリニスト、姫屋でもかなりうわさなっていたわよ。いい男すぎるって」
アリス「たしかに、うちでも、予約が来たら誰が担当するかって、来てもいないのに上の人たちがもめてました」
藍華「だよね、そうだよね、絶対その男だね!!」
アリス「しかもこの人、私の記憶が確かなら、昨夜、ネオベネツィアホールで演奏しています。つまり、朝にARIAカンパニーにいたということは、きっと打ち上げして、飲み過ぎて、夜明かししたんでしょう」
藍華「ホントに? なんなのよ、もう」
壁際から藍華が顔を出し、先に席についてメニューを見ていた灯里にむかって、手招きする。
灯里は「何にする?」とメニューを指さすが、藍華は厳しい顔で「そんなこといいから、早く来い」と強く手招きする。しかたなく灯里がやって来る。
灯里「なになに? どうしたの?」
藍華「あんた、これ見なさいよ。このバイオリニスト」
灯里「ほへ?」
アリス「あの人です、まちがいありません」
灯里「え? ええっ?」
アリス「バイオリニスト、山鹿巧」
藍華「同一人物よ、絶対」
灯里「あわわわわわわ。で、でも、ほら、名前がちがうよ。このポスターの人はタクミさん。彼はタクマさん」
藍華「『タクミ』と言いかけて、あわてて『タクマ』と言い換えた、なんてこと、なかった?」
灯里(アホ声で)「えー、藍華ちゃん、なんで知っているんですかぁ〜」
藍華「図星ね」
うなずく灯里。
藍華「やれやれ」
灯里(ポスターを直視して)「バイオリニストだったんだ……」
アリス「で、どうするんですか、灯里さん?」
灯里「握手して指さわらせてもらおう!」
アリス「そうじゃなくて、これからのことです」
灯里「どうするって、やっぱり、実名をかくしているのだったら、お客様の意向は尊重しないと」
藍華「いやいや、『客』じゃないし」
灯里「そりゃそうだけど、そういう配慮も、私たちにとっては勉強のうちだから」
アリス「つまり?」
灯里「今まで通り、普通に、ってことで」
アリス「ですね」
藍華「やれやれ、しかたないわね」

灯里の独白「あのひと、バイオリニストだったんだ……、でも、有名人がお忍びでアリシアさんのとこにいらっしゃることはたまにあるし、私だって、落ちついてやっていけば大丈夫。これも修行だと思って、がんばろう。うん」

運河の開けた風景を前にして、なごやかに歓談する四人、とアリア社長。
ピザのランチをあらかた食べ終わる。

巧「やっぱりみんな、この街に詳しいんだね」
藍華「そりゃあ、仕事ですから」
アリス「私、午後は勉強です。戻らなくてはいけません」
藍華「わたしも〜」
灯里「じゃ、私はこのまま実技練習ってことで」
藍華「まあいいけど、ちゃんとやんなさいよ。ていうか、タクマさん、この子ほっとくといつもヘラヘラして仕事忘れるから、しっかり注文出して、きっちり使ってやってくださいね」
巧「うん、よろしく。特に僕は、この街の歴史のこと、もっと知りたいな」
灯里「歴史ですか?」
巧「モデルになったベネチアのことだけじゃなく、ネオベネチアとしての、この街のことを」
アリス「まさに、灯里さんの得意分野ですね」
灯里「えー、ハードル上げないでー」
アリア社長が大あくび。
アリス「あらあら、社長は眠そうですね。私がベッドに届けてあげましょうか?」
灯里の戸惑いをよそに、社長はアリスの胸元に飛び込む。
灯里が困った顔で巧をみると、彼は肩をすくめて微笑む。


【ゆったり二人でゴンドラ】

〜BGM「そして舟は行く」〜
(ときおり物売りの声など街の音が重なる)

灯里「お仕事って……すごく難しいお仕事なんですか?」
巧「どうして?」
灯里「えっと……悩んでらっしゃるみたいだから」
巧「どういったらいいんだろう……簡単ではないよ。簡単ではないけれど、人が思うほど難しいことでもない。力むと、逆に失敗したりするし」
灯里「で、ですよね……ははは……」
巧「結局、ウソはつけないんだ。お客さまのために、何かをやろう、とする。うまくよろこんでもらって、金をたくさん得ようとする。それは、たぶん、誰もが考えることだろう。でも、僕の仕事は、それが……つまりこっちの思考が、客に伝わってしまう。こっちが何を考えているか、がね。だから、ある意味、正直に開きなおってやるしかない」
灯里「それは、むずかしいですね……」
巧「逆に質問していいかな。灯里さんは、ウンディーネとして心がけていることって、なにかある?」
灯里「やはり、お客様あってのお仕事なので、大切な時間を共有できるように、気持ちをこめてやっていこうと思っています」
巧「でも、君の気持ちを素直に喜んでくれる人はいいけれど、そういう人ばかりじゃないよね、実際は」
灯里「まあ、そう言ってしまえば、そうですが……」
巧「ごめん、ヘンな言い方して。たぶん、君なりにいろいろ配慮することはあるんだろうね。でも、一つ、言っていいかな」
灯里「え?」
巧「灯里さんは、灯里さんのままでいい。そんな気がする。ばたばたしているように見えて、ちゃんと大切なことがわかっている」
灯里「私、ですか……?」
巧「……なんてね。僕自身、答えが見えてないのに、よく言うよね」

巧は目をつぶる。

巧「灯里さん……」
灯里「はい」
巧「君の声は、不思議だね」
灯里「声……ですか?」
巧「音は、ごまかせない。僕は、感じる。君の声は、心の深いところに、すっと入ってくる。まるで、よい匂いのする紅茶のようだ……」

灯里は赤面するが、巧はそのまま目をつぶり、やがて寝入ってしまう。

灯里「おつかれですね」

灯里は、おだやかな歌(「明日、夕暮れまで」)を口ずさみながら、やさしくゴンドラをこぎ続ける。



【子供を医者に】

灯里たちの通りすがりの窓から、女性があわてた表情で、声をかけてくる。

女性「すみません、ゴンドラの方、子供がひきつけを起こしちゃったの、急いでお医者さんに運びたいの、手伝ってくださらない?」
灯里「は、はい……でも、今は、ご案内が……」
巧(跳ね起きて)「僕はいいですよ、金を払った客でもない。さあ、てつだいましょう」

〜BGM「逆漕ぎクィーン」〜

子供を抱いた母を、窓からゴンドラに乗せる。
呼吸がつらそうな幼い子供。
灯里「いそぎます」
灯里が真顔になり、逆漕ぎ開始。
混み合った場所で、巧が船の障害物を手で避ける。
二人のコンビで狭い水路を疾走。
水路に「医院」の看板を出している場所に滑るように到着。
子供を抱いた母は、ゴンドラから桟橋に急いで下りて、医院にかけこむ。
子供はすぐに処置を受ける。
まもなく出てきた医師から、心配そうに待っていた二人に、「心配ないですよ」とひと言。
母親が深く頭を下げで「ありがとうございました」と礼を言う。

巧「もし、このまま大病院に運ぶならやりますよ」
医師「いえ、そこまでのことはありません。処置が早かったので大丈夫。あなた方のおかげです。ありがとう」

オールを持ったままホッとする灯里に、巧は「グッジョブ」とサインを出す。
灯里は再びゆっくりとこぎ始める。

灯里「タクマさんって、いい方ですね」
巧「え?」
灯里「今朝は、よっぱらってゴンドラで寝ているから、正直、もっとダメな人かと思っていました」
巧「うん……ダメなときは……まあ、あったよ」
灯里「え? 私、冗談で……」
巧「ホント、ダメだったんだ。金がなくてね。とにかく金がなく、パートで働いて、帰ったら飲んだくれて。ずいぶん、そんな感じだった」
灯里「タクマさんにも、そんな時代、あったんですね……」
巧「迷ってて。でも、そんなときがあったからこそ、今の僕がいるんだ。大切な過程だった、と思ってる」
灯里「私も、少しわかります。思いきってここに来るまで、悩んだりもしてたから」
巧「明里さん」
灯里「はい?」
巧「はっきり言わせてもらえば、僕は、今、この星で一番いい人なんだ」
灯里「すごいです〜」
巧「そして、灯里さんは、この星で、同じように、一番いい人だ」
灯里「え……そ、そうでしょうか」
巧「まさに、運命の出会いってやつだ」
灯里(赤面する)「え、わわわわわわ」
巧「ごめん、今の、恥ずかしいセリフだったね。僕、よく人から指摘されちゃうんだ。おまえ、恥ずかしいセリフ言い過ぎ、って」
灯里(アホ顔で)「タクマさん……」
巧「ねえ、よかったら、もっと、ゴンドラで案内してもらっていいかな?」
灯里「もちろんです」
巧「なんだか、こうして、水に直に浮いていると、不思議と、いろんなことを考えられる……」
灯里「前向きなアイディア、浮かびそうですか?」
巧「うん、そうだね」
灯里(真面目に事務的質問)「街の説明は、どうされますか?」
巧「ひかえめに。でも、君が大切と思うことは、しっかり伝えてほしいな」
灯里「はひ」


【巧の生演奏】

運河沿いの窓辺でバイオリンの練習をしている少年がいた。あまりうまくはない。
そこに灯里たちのゴンドラが通りかかる。

巧「ちょっといいかな、あそこ」
灯里「は、はい……」
窓のそばまで来ると、灯里がオールを水に沈めて、ゴンドラを安定させる。
巧が少年に声をかける。
巧「君、それ、なんてバイオリン?」
少年「制作者ですか?」
巧「そう。メーカーでも」
少年「いちおう、リスロフです」
巧「やっぱり。わかるよ、使っていたことがある。せっかくいい楽器なんだ、もう少し正確に調弦した方がいいな。かしてごらん」
少年「うまいんですか?」
巧「まあね」
巧の自信に満ちた顔に、少年は思わず楽器を差し出す。
少年から楽器を借りうけた巧は、シートのヘリに座り、調弦を始める。
少年が練習していた曲を少し奏でると、圧倒的に伸びのある美しい音が響きわたる。
灯里は、水につけたオールをにぎり、ゴンドラが揺れないように支える。

断片的に演奏のあと、巧が目をつぶり、意を決したように、ある旋律を奏で始めた。
それは公演をあきらめていたレヴィコフ作協奏曲の二楽章、カデンツァ部分だった。
崇高な愛のテーマと、激しい情熱をおびた展開。
通りすがりの人々が、驚いて耳を傾け、聞き惚れる。
彼の正体に気がついた者がおり、ざわつき始める。

市民「あの人が?」
市民「本物?」

さわぎがひろがり、人々が集まりはじめる。
出くわした記者が、巧に気がつき、岸に走り寄って、カメラを向けてくる。

巧(演奏を中断し)「灯里さん、ちょっとまずいな。にげましょう」
灯里「え?」
巧(少年にバイオリンを返す)「きみ、バイオリンありがとう。上手くなってね」
少年「あ、ありがとうございます、なんか、すごい音」
巧「バイオリンは、鳴らすんじゃない。一体になるんだ。心と、身体と、楽器と。音は、君自身だ。わすれないで」
少年「はい。えっと、あなたは……」
巧(灯里に)「さあ、早く!」
灯里(目を輝かせて)「おまかせください」

一気に加速し、すべるように運河をぬけて、海に出た二人。
頭上を宇宙連絡船が着陸態勢で通り過ぎる。
波にもまれて、二人は笑いあう。
宇宙船による波が収まったときには、陸から離れた海原の中だった。

灯里「さっきの演奏、本当に本当に、すてきでした」
巧「そうだね。僕だって、初めてだよ。気がついたら、自分の中から音楽があふれ出ていた。嘘のない音楽が。あれが、探していたものだったんだ……」
灯里「探していたもの?」
巧「悩んでいた、核心さ」
灯里「タクマさん……この街って、不思議なんですよ」
巧「不思議?」
灯里「ええ。まるで、閉ざしていた心を、自然と、ときほぐしてくれるみたいな、そんなところがあって」
巧「この街か……でも、それだけかな……」
灯里「……?」
巧「この街のよさ、それだけで、さっきみたいな音楽が奏でられるのか。僕は、そうは思わない。……思えない」
灯里「タクマさん?」
巧「僕、ひとつ、君に謝らなくちゃいけないことがあるんだ。はずみで、ついタクマと名乗ってしまったけれど、本当は、タクマじゃない。タクミ。山鹿巧って名前、聞いたことないかな?」
灯里「あ、あります……」
巧「もしかして、僕のこと、知っていた?」
灯里「じつは、藍華ちゃんとアリスちゃんが、お昼のレストランで演奏会のポスターに気がついて……」
巧「なんだ。そうだったのか」
灯里「ごめんなさい」
巧「いや、誤ることはないよ。嘘をついていたのは僕の方だ、ごめんね」
灯里「とんでもないです。ウンディーネとしては、お客さまのご意向はなにより尊重しなくてはなりませんので」
巧「そうかな? 客じゃなくて、僕たちは、友だちだったはずでは?」
灯里「そ、そうですね、ははは」
巧「しかし、だったら、話が早い。僕は、あと一回……明日なんだけど……セントラルホールでの演奏を終えたら、マンホームに帰る。むこうに着いたら、また予定がある。じつは、だいぶ先までスケジュールが決まっていて。こういうことは、お金の絡む問題だから、一人ではどうにもならないんだ。つまり、結論を言えば、悲しいけれど、僕は、明後日には、アクアを去る。たとえ、この街が、どんなに素敵でも。この時間が、どんなに愛おしくても」
灯里「タク……」
巧「巧だ。さあ、呼んでみて」
灯里「巧……さん……」
巧「『さん』をつけない呼び方、してもらえると嬉しいな」

灯里の独白「あなたは、横にずれて、シートの片側をぽっかり開けてくれている。なぜだか、わかるよ。私に、このオールを置いて、そこにすわってほしいんでしょ。人目のない、広い海。ここなら、たしかに、大丈夫。私も、そうしたい。……でも……無理だよ。私は、このネオベネツィアに生きる新米ウンディーネ。宇宙をまたいで活躍する芸術家のあなたとは、何もかも、ちがう。ちがいすぎる。あなたは、もうじき、ここを去るのでしょ? 私は、あなたを追いかけてはいけない。だって、私は、ここが、好きだから。なによりも、ここが、一番、大好きだから……」

灯里は苦笑して、明るいトーンで語りかける。
灯里「このあとは、よかったら……えっと……よかったら……」
しかし言葉を続けられず、唇をかみ、涙があふれる。片手にはめた白い手袋に、落ちた涙がにじむ。
灯里「な、なんでかな……私……」
巧は、優しくうなずいた。
巧「なにもしなくて、いいよ。特別なことは、なにも。心は、嘘をつかない。ただ、いつものように、ゆっくり、案内してくれればいい。君らしく。僕は、それを、なによりも大切にしたい」
灯里「……はい」

街めぐりを終えて、遅い夕方にARIAカンパニーに帰り着いた二人。アリシアは直前にもどっていて、ゴンドラシートの手入れをしているところだった。

アリシア「お帰りなさい、灯里ちゃん、今日はずいぶん……あら、朝の方とずっといっしょだったの?」
灯里「いや、こちらの方は、高名なバイオリニストの山鹿様なんです。今日はアリシアさんの予約がいっぱいでしたので、僭越ながら私が『お友だち』ということで、街をご案内させていただきました……というわけで……ははは」
巧「すっかり無理をきいていただきました」
先に桟橋に降り立って、苦笑する灯里。しかしその頬には、大粒の涙がつたっていた。
アリシア「でも、灯里ちゃん、あなた……泣いて……」
灯里(すっかり涙声で)「な、なんでもないですよ、本当、なんでもないんです。余裕があれば、あらためてアリシアさんのゴンドラの乗っていただきたかったんですが、山鹿様は、明日のコンサートが最後で、明後日にはマンホームに戻られるとのことなので、それは残念ですが、とても、残念ですが……」

灯里が、涙を鼻をすすり、涙を腕でぬぐいながら、桟橋とゴンドラをロープで止め、手をのばして彼を導く。
桟橋に上がった巧は、ためらわず灯里を抱きしめた。

オレンジ色の夕日を背景に、抱きしめ合う二人。

真顔で驚くアリシア。

清楚な音楽(「バルカローレ」河井英里ソロ)が流れる。

巧は、灯里に手のキスをして、離れると、一度深く頭を下げて、急ぎ足で去っていく。

アリシア(巧の去っていく後ろ姿を見つめて)「あらあら……」



【後輩三人会議】

BGM「アクアアルタ日和」
藍華とアリスがARIAカンパニーにどたどたとやってきた。
さっそく三人で語り合う。

藍華「アリシアさんから連絡受けてビックリよ。どうすんのよ、この灯里問題」
アリス「でっかい悲しみのどん底ですね」
藍華「あらかじめ確認しとくけど、キスはした?」
灯里「手には、少し」
藍華「手って何よ!」
アリス「いまどきのマンホームでは、そういう表現なんですか?」
灯里「ちがうよ。真面目な人だし、何もないの。ただ、丁寧に案内しただけ。でも……気持ちは、嘘をつかない……つけない……」
藍華「いやいや、完全に気持ちにウソついたり、方便言えなかったら、世の中大変なことになるでしょうが」
灯里「そうだけど、でも、あの人は、そうじゃないの」
藍華「はあ?」
アリス「つまり、芸術家、ってことですか?」
灯里「そうだね、きっと、そう。でも、いいの。だって、最初からどう考えても、絶対無理な話だし。私、ウンディーネになるって決めているもの。ゆらがないよ。私、みんなも、この街も、大好きだし。本当に、本当に、大好きだし」
藍華「じゃあ、なんで泣くのよ。あんた、さっきから泣いてばかりじゃないの」
灯里「だ、だって……えーん」
アリス「わかりました。ここは私が一肌脱ぎましょう。チケットを手に入れます。明日のコンサート。それで万感の想いをみたしてください」


【アリシアさん、チケットを用意する】

アリスが電話をかけまくるが、うまくいかず首を振る。
アリス「アテナさんに頼んでも、さすがに今回のコンサートは入手不可能のようです」
藍華「えー、音楽業界に顔が広いはずでしょ?」
アリス「でも話の規模が……」
愛華「じゃあ、早めに行って『キャンセルありませんか〜』ってやる? 灯里の分、一枚くらいならなんとかなるでしょ」
灯里「だめだよ、そんな。ウンディーネ協会の人に見られたら怒られちゃう」
アリス「こまりましたね……」

そこにアリシアさん、登場。

アリシア「むずかしいみたいね。私の知り合いにも、頼んでみていいかしら」
三人頭を下げる。「お願いします〜」


夜の風景・灯りのついたARIAカンパニーの建物


アリシアが受話器を置いてひと言。
アリシア「大丈夫、手配が着いたわ、三枚」

驚いてドッと涙があふれる灯里。はげます藍華、アリス。

アリシア「でも、急な旅行に出ることになっているので今夜のうちに取りに来て欲しい、って」
藍華「そういうことなら、空の配達人に依頼しましょう」

夜空を疾走する配達屋のエアバイク。

ウッディー「意味深な急ぎの依頼だけど、全力をつくすのだ〜」


やがてARIAカンパニーにエアバイクの音が聞こえてくる。
藍華「きたわね」

全員でベランダに出て、浮いたままのウッディをむかえる。
ウッディ「依頼のもの、確かにあずかって来たのだ」
灯里(目をうるませて受けとる)「ウッディさん、こんな時間に、ありがとうございますっ……」
ウッディ「そ、そんな表情で感謝されるほどのことはしていないのだ。でも、きっと大切なものなのだね。うまく言えないけど、オイラも応援しているのだ。さらば、なのだ」
灯里(大きく手を振って)「ウッディさーん、ありがとうー」

就寝前。
寝間着のアリシアが、寝間着の灯里に語りかける。

アリシア「灯里ちゃん」
灯里「はい……」
アリシア「チケットを手配したことが、いいことかどうか、私にはわからない……だって、私たちは、ウンディーネですもの……でもね、あの涙を見たら、私は、私にできる精一杯のことをせずにはいられなかった」
灯里「ありがとうございます」
アリシア「うん」
灯里「アリシアさん、私はここを去ったりしませんから、何があっても」
アリシア「何があっても?」
灯里「だって、私たち、ウンディーネですから」
アリシア「灯里ちゃん……」
灯里「私ね、思うんです。きっと、これは、予防注射みたいなもの、って。一回しとけば、もう安心。次からは、感染しないし、余裕です!!」
あきらかに無理をしている灯里。歯を食いしばりながら、また涙があふれてくる。
アリシアは、察しながら、優しく言葉を続ける。
アリシア「今はつらいかもしれないけれど、あなたの涙が、いつかきっと、素敵な何かに変わることを祈っているわ。心から」
灯里(せいいっぱいの笑顔で)「はひ」


【おめかしして、コンサート会場へ】

〜BGM「夏便り」〜

一階席に着いた灯里たち三人。
藍華「席、ものすごくいいところじゃないの」
アリス「さすが、アリシアさんの裏の力」
藍華(空手チョップをして)「裏の力言うな」
灯里「ほら、みてみて、プログラムの前半は交響曲だね」
藍華「あんた、想い人があらわれないからって、軽く聞き流すんじゃないわよ」
灯里「わわわ、わかってるよ。オーケストラだって『アクアとマンホームの両演奏家が集まった特別編成』って書いてあるよ。歴史的な演奏だよ。前半だって聞きどころ満載だよ」
藍華「本当に?」
灯里「う、うん、き、きっと……」
アリス「それにしても、こんな演奏会に、堂々のソリストとして選ばれるなんて、どれほどすごい人なのか、まったく想像もつきません」
藍華「ほんと、そうね。まあでも、出会いはあれだけどね。飲んだくれてゴンドラで寝てた人」
灯里「でもでも、決して不審人物っぽい人じゃなかったよ」
アリス「むだです。証拠写真があります」
アリスが一枚の写真を取り出すと、そこにはゴンドラでだらしなく寝ている巧が写っていた。
灯里「アリスちゃん、どこからそれを〜」
アリス「アリシアさんから回してもらいました」
藍華「どんな人か教えてください、って頼んだらくれたのよね」
アリス「はい。証拠写真です」
灯里「こまる〜、もっといい写真撮っておかないと、ほんと、誤解されます〜」
藍華「いいじゃない、灯里。これも、あの人らしさよ。いろんな顔があるから、人として魅力的なんじゃない」
灯里「藍華ちゃん、それ、恥ずかしいセリフ! でも、もっと言っていいよ!」
藍華「言いません。ふん!」
指揮者が登場し、客席から拍手がわき上がる。
灯里「さ、聞こうよ。私たちのネオベネツィアに響く音楽だよ」


休憩中、トイレに並ぶ三人。
灯里「な、なんか、むむむ、難しかったね……」
二人、うなずく


そして、いよいよ後半。
着席の合図のブザーが鳴り、人々が席に着く。
舞台が明るくなり、オーケストラの団員が舞台に現れて席に着き、楽器の調音を始める。
調音が終わると、スポットライトの中に、指揮者と、巧が姿を現す。
燕尾服を着た巧が、いったん楽器をかまえ、オーケストラと調弦を確認し、客席を見上げる……

巧の独白「ああ、こうして会場を見渡すと、いつもどおり、たくさんの観客がいる。顔のない人々……(灯里を見つける)君……ありがとう、来てくれたんだね。君も、友だちも……みんな……(ぼやけていた客席がクリアになっていく。このときの聴衆の顔はARIA製作にかかわってきたオールスタッフの皆さんの似顔絵で)なんてことだ。最高じゃないか。灯里、今夜は特別だ。僕たちは、みんな、同じゴンドラに乗りあわせた仲間だ……」

巧(バイオリンを肩から外し、客席に向かって声を大きくして)「みなさん、演奏前に、ひとつ、説明させてください。ロビーに掲示してありますとおり、本日は曲目を変更しました。でも、これはずっと考えてきたことだったんです。アクア出身の作曲家レヴィコフのコンチェルトを、僕の最終演奏とすること。でも、決断がつきませんでした。この星に来て、たくさん厚情は受けながら、アクアの本質……郷里であるマンホームを離れて暮らす人々の想いが、なかなか、わからなかった。でも、皆さん。ぎりぎり、大丈夫でした。最後に、僕は、なによりも、大切なものを、みつけました。この地を愛し、生きる想い。温かくて、正直な優しさ。それを作り上げてきた人々の、ゆるぎない美徳と、誠実さ。……僕はもう、明日には、ここを離れなければなりません。それが、今、身を切られるようにつらく感じます。(天井を見上げて鼻をすする)でも、僕は、進んでいきます。この収穫を、持って帰ります。そして、今、ここで……この、最後のステージで、僕は『想い』を込めて、演奏させていただきます。本当に、心から、感謝します。ありがとうございました」

巧は深く頭を下げる。客席からの拍手。団員たちも楽器を叩いて鳴らす。
やがて、静かになると、指揮者がタクトを振り、曲が始まる。

1楽章 旅立ち

古い宇宙船の出発シーンを思わせるオープニング。
激しく刻むデジタルを模した音、燃料注入を模した音、人々の不安。
そして、宇宙に飛び出し、無限の静寂の中、孤高のバイオリンが響く。
それは、精霊の声。
死を覚悟しても、なお希望を捨てない人々。
新天地建造の危険な日々。
度重なる事故。
郷里に戻りたい想い。
それでも試練の中から、新しい何かが生まれていく。
赤茶けた土から小さな芽吹き。
微かなヒントのように、わずかにベネツィア風の余韻を残して、終了。

2楽章 命

バイオリンソロの優しく温かい音色から始まる。
死んでいった冒険者たちへのレクイエム。
レクイエムを包み込むように奏でるオーケストラ。
犠牲と悲しみを乗り越えて、少しずつ街が作られていく。
希望のフルートや、安らかなチューバ。
やがて人々の暮らしを模したように、重ねられていく弦楽合奏ののちに、
再びバイオリンソロによる崇高な愛のテーマ。
情熱をおびたカデンツァを経て、ソロのまま、終わる。

3楽章 ネオベネツィア

祭りの始まりを告げる金管の音色。
鳥たちの目覚めを告げる木管の響き。
そして集う人々の軽快な踊りが始まる。
明るい音色のコントラストの中、前章の愛のテーマが重ねられていく。
バイオリンがテクニカルな演奏でからみ、甘いユニゾンで花を添える。
悲しみの1、2楽章の回想を経て、涙を乗り越えて、
すべてを肯定し、元気いっぱいなエンディングへ。



全力で弾ききる巧。
満場の拍手。
彼は汗をぬぐい、指揮者と握手をし、客席に向かって頭を下げる。 
巧は一度ステージ脇に下がるが、アンコールを求める拍手が続く。
巧はマネージャーから受けとったコップの水を一口飲むと、ステージに戻る。

アンコールとして、巧はソロで「バルカローレ」を弾く。

灯里と巧の出会いが、回想される。
一艘のゴンドラに乗った二人の、つながるべくしてつながった心。
人目のない海原での涙。
夕日の中で、抱き合う二人……


【コンサートが終わって】

ホールからロビーに出ると、人混みの中でアリスが言った。
アリス「灯里さん、灯里さん、でまち、しますか?」
灯里(首を横に振って)「い、いいよ……」
藍華「ねえ、やっちゃいなよ、私たちだってここまで来たら全力で応援するし」
灯里「だって、あの人は……」
灯里は苦笑して、先に歩いていく。
藍華「ち、ちょっと、灯里ってば」

〜BGM「サンタクロウスの空」河井英里〜

外の広い階段に出て、人がまばらになり、夜風に当たりながら、灯里は二人に説明した。

灯里「ほら、このホールには、ホテルがくっついているでしょ。あの高いところ。あそこでみんな泊まっているんだって。だから、でまちは、できないの」
藍華「なんだ、そうなんだ」
アリス「すみません、気付くべきでした」
灯里「あとね、今夜は忙しいんだって。最終日として、いろんな人に挨拶しなきゃならないし。宇宙船に乗ったら眠りまくるつもりで、徹夜で行動するぞぉ、って」
藍華「あんた、そんなことまで聞いていたのね」
灯里「午後、二人だけだけのときね。そのとき、いろいろ教えてくれて……」
アリス「うらやましすぎです」
灯里「それだけじゃないよ。彼、昨日の夕方、私と別れてから、急いで今日の曲を用意したはず。ステージでも言っていたけど、本当に迷っていたんだって。でも、ゴンドラで水に揺られて、やっと気持ちが固まった、って。で、急きょ、曲の変更。これ、前日の決断よ。もともとオーケストラとの練習はしていたらしいけど」
藍華「前日に曲の変更を要求するソリストか」
アリス「しかも夕方。でっかい、すごすぎます」
灯里「でね、彼ね、昨日は、最初の休日だったんだって」
藍華「どういうこと?」
灯里「アクアに来て三ヶ月、リハーサルとか、教えたりとか、あと、レコーディングとかもあって、まる一日のお休みは、はじめてだったんだって」
アリス「それを灯里さんとすごしちゃったんですね」
灯里「私ね、おもわず『そんな貴重な休日、私なんかとのんびりしていていいんですか』って聞いちゃったよ」
藍華「そしたら?」
灯里「そしたらね、『僕は、君とのんびりすることが、答えなんだ』って」
藍華「なんじゃぁ、その恥ずかしいセリフ!」
灯里「そう、そうなの。そこなの、藍華ちゃん。彼ね、私と同じで、よく恥ずかしいセリフ、言っちゃうの。だから、相性、いいの」
アリス(しらけた顔で)「そこですか……」
藍華「でも、そういう話なら、あの人がステージで語っていたことも納得よね。つまり、あれ、意味的には、もろ灯里へのメッセージだったじゃない。感謝している、わかれるのはつらい、でも進んでいく、って」
灯里(苦笑して首を振る)「うんん、そんなことないよ」

夜空を見上げる灯里。急に足がつまづいてよろける。

灯里「いた、てへへ」
藍華「大丈夫?」
灯里「ごめん、たいしたことない」
アリス「灯里さん、私たちは、しっかり下を見て歩いていかないとダメなんです。ではこれから、大きめのブロックを選んで踏んでいくルール、開始しますか?」
藍華「いや、後輩君、今日はやめとこう」
灯里「ごめんね、アリスちゃん。私……今は、もう少し余韻に包まれていたい。まだ私の胸で、たくさん鳴っているの。バイオリンの音色。大切なもの、確かにもらった。温かくて、かけがえのない何か。……ごめんね、私、恥ずかしいセリフばかりだね」
藍華「い、言ってなさいよ! もう、今夜は、いくらでも、言うがいいさ!」
灯里(目に涙を浮かべて微笑みながら)「ありがとう」



【出発の日、空港ロビーで】

灯里たちが空港に見送りに行くと、すでに大勢のファンが集まっていた。

灯里「えー、マスコミの人もきてるー。制服できちゃったけど、まずかったかな……」
アリス「しかたがないです、勤務中の中抜けですから」
藍華「一時間だけって、晃さんに釘を差されているからね、守らないと」
灯里「それにしても、女子いっぱいだよ……」
アリス「異性に慕われまくっていますね」

マネージャーとエリックと、三人で現れた巧は、さっそく大声で提案をする。

巧「みなさん、ありがとうございます! ネオベネツィアですごしたこと、最高の想い出です。よかったら、写真、とりましょう。時間、あまりないので、急いでやりますよ。協力してくださいね!」

「きゃー」「ありがとうございます」と騒ぐファンたち人々。

エリックと、警備員が、人々を並ばせ、用意させていく。

マネージャー(みんなにむかって)「あわてなくても全員撮る時間はあります。落ちついてお願いします。握手はかまいませんが、長話はご遠慮ください」
ファン「すみませーん、サインはいいですか?」
マネージャー「サインは、時間がないので遠慮してください」
巧「字はうまくないから、やめときましょうね〜」

ファンたちが和やかに笑い、さっそく思い思いのポーズで巧との撮影を始めていく。

ファン(スザンヌ)「モーツァルトのレッスン受けたスザンヌです、先生、ありがとうございました。指先の神経で弦を歌わせるご指摘、感謝です、だいぶ上手くなりました」
巧「スザンヌさん、期待していますよ。いつかいっしょに演奏しましょう」
マネージャー、二人の写真を撮り、カメラをスザンヌに返す。

ファン(リー)「アクア・ファンクラブのリーです」
巧「ああ、あなたが!  いつもお世話になっています。はじめまして」
リー「私も、写真、いいですか?」
巧「もちろん。リーさん、あなたの書いたレポート、いつも読ませていただいていますよ」
リー「……そ、そんな……ただ、私は、巧さんの見た目だけにファンになっているとは思われたくないので」
巧「そういう意見、本当にうれしいです。ありがとう。マンホームからも配信はあるので、これからもぜひよろしくお願いしますね」
リー「もちろんです! あと、できたら、本も、お書きになりませんか?」
巧「え……?」(マネージャーに流し目)
リー「巧さんの生き方が、素敵な音色を作っていること、私、わかるんです。だから、もっと知りたくて」
巧「ありがとう、考えておきます」
リー「ぜひお願いします」
マネージャー、二人の写真を撮り、ケイタイをリーに返す。

ファン(シオン)「シオンです。学生をしています。最後のコンサート、素晴らしかったです。曲の変更、よく、決断なさいましたね、すごいです。もちろん、心にずっしり響きました」
巧「もう無理かと思っていました。アクアの奇跡ですね」
シオン「私も、そう思います。住んでいる私が言うのもなんですが、アクアって、良き奇跡が、本当に起きちゃうんです」
巧「本当に?」
シオン「はい、本当の本当に。だから、ぜひ、またいらしてください」
巧「そうですね。いずれ、また、必ず」
シオン「帰りの道中、お気をつけて」
巧「シオンさん、ありがとう」
マネージャー、二人の写真を撮り、ケイタイをシオンに返す。

灯里たちの順番になったとき、灯里はアリス・藍華二人の背中を押して「いっしょに写って」とつぶやく。

藍華「だって、それじゃあ……」
灯里「そうして欲しいの」

まわりのファンたちも「さあどうぞ」と手をさしだして、灯里たち三人を巧の前に誘う。
アリスがカメラをマネージャーに渡す。

灯里「お願いします」
マネージャー「三人ね」
灯里「はい」

灯里たち三人、巧を前にして。
灯里「あの、えっと、ARIAカンパニーの水無灯里です」
藍華「姫屋の藍華です」
アリス「オレンジぷらねっとのアリスです」
巧(ほほえんで)「ウンディーネさんたち、ありがとう。制服できてくれたんですね」
灯里「ははは、課題中の中抜けとかです」
巧「わざわざすみません。でも、うれしいです。だって、全ては、皆さんのおかげですから」

巧から三人の手をとり重ねて、四人並んでポーズ。
マネージャー、写真を撮り、カメラをアリスに返す。
アリスは、カメラを受けとると、サッと巧に封筒を差し出す。

アリス「これ、記念にどうぞ」
巧「え?」

巧が受けとって、中をのぞくと、写真が入っていた。朝のゴンドラでだらしなく寝ていた一枚。そして、その裏にもう一枚、灯里が笑顔で写っている写真。
巧は、ちらっと見て、せきばらいをし、アリスを見る。
アリス「秘蔵品です」
巧「あ、ありがとう、感謝します」

去っていこうとする灯里に、巧は声をかけた。

巧「君、ちょっと。この星のウンディーネさんと、もう一枚、記念写真を撮っておきたいと思う。よかったら協力してもらえませんか?」
灯里「私ですか? はい!」

巧が自分のカメラ付き携帯をマネージャーに渡す。灯里が巧の横に立つ。

灯里(小声で)「また、写真でご一緒できるなんて、光栄です」
巧(巧は周囲に聞こえるように大きな声で)「いえいえ。僕がこの星のウンディーネさんから教えてもらった素晴らしさに比べれば、たいしたことはないですよ……(小声でつぶやく)一生忘れません、絶対に……」
灯里「私も、忘れません、あなたのこと、絶対に」

マネージャーが二人の写真を撮る。
横から、ちゃっかり、藍華とアリスも二人を撮影。
撮影が終わると、一瞬、二人の視線が合い、巧は戸惑いの表情をあらわにする。
灯里も、彼を見つめ、何かを言おうとする。
が、それを打ち消すように、スタッフの声がひびく。

エリック「そろそろ時間です〜、まだの人、急いでもらっていいですか〜」
マネージャー「巧さん、こちら、次の方、お願いします」

巧は苦笑して頭を下げ、灯里から離れていく。

全員の撮影が終わると、巧は深く頭を下げて「ありがとうございます、素晴らしい三ヶ月でした、本当にありがとうございます」と告げる。
ファンたちが、「巧さん、ありがとう〜」「写真、ご一緒させてもらえるなんてラッキー」などと喜ぶ中、バイオリンケースを肩にかけた彼が、手を振って、マネージャーと共にゲートの先に消えていく。「さようなら〜」とファンたちが叫ぶ。

彼の姿が見えなくなると、ファンたちは「来てよかったね」「握手しちゃった、すっごくしなやかな手」などと歓談しながら散っていく。
警備員たちがバリケードをかたづける。
藍華は、心配顔のアリスの手を引いて、その場を去る。

やがて、がらんとなったロビーのかたすみに、放心した灯里だけが、ぽつんと残された。
その姿に気がついたエリックは、何か言葉をかけようとするが、一瞬考察したのち、思いとどまり、その場を去る。

一人で立ち続けた灯里。
しかしやがて意を決し、礼儀正しく深く頭を下げる。
そして深呼吸をしてから、姿勢を正し、出口に向かって、なげやりな靴音を響かせて歩きはじめる。



【朝】

海鳥の鳴く朝のARIAカンパニー。
灯里、エプロンを着けて朝食の準備中。
そとからアリシアが入ってくる。

アリシア「おはよう、灯里ちゃん、パン買ってきたわ」
灯里「ありがとうございます、アリシアさん」
アリシア「そろそろ夏ね」
灯里「アイスティにします?」
アリシア「そうしようかしら。お願い、灯里ちゃん」
灯里「はい」
アリシア「ところで、アリア社長、しらない?」
灯里「そういえば、今朝はどこにもいませんね」
アリシア「道の方にはいないみたいだったけど」
灯里「朝ご飯に戻らないなんて、社長らしくないですね。私、ちょっと、海の方、見てきます」 
灯里がコンロの火を消し、家を出て、桟橋を覗くと、アリア社長がゴンドラのシートで寝ていた。
灯里は階段を下りて、社長に顔を近づけて質問する。
灯里「どうしたんですか、ARIA社長、こんなところで?」
社長「(ここで、ねていたひと、いたよね)」
灯里「それ、あの人のまねですか?」
社長「(すきだったんでしょ?)」
灯里「いえいえ、飲んだくれてこんなところで寝ていたって、いいことはなにひとつありませんよ」
社長「(そ、そうかな)」
灯里「まあ、ときどき例外はあるかもですけど、そんなのは、たぶん一生に一度あるだけです。さあ、もどりましょう。アリシアさんの買ってきてくれた焼きたてのパン、すっごくおいしそうですよ」
社長「(え、まじ?)」
灯里「今日も元気に一日を始めていきましょう、社長」
社長「(りょうかい!)」



【灯里たちの日常のシーン(特別に美しく描きこまれた一枚画の連続で)】

〜BGM「ARIA」〜

成長した表情でオールをこぐ灯里。

お客様に笑顔で手をさしのべる灯里。

日常の生活の中で、灯里を温かく見つめるアリシア。

食事で口のまわりを汚す社長。

灯里にツッコミを入れる藍華とアリス。

アホ顔の後輩三人。

先輩たちと焼肉パーティ。

汗をぬぐって観光案内する灯里。

子供たちと手をとってスキップする灯里・藍華・アリス。

夏の汗をぬぐい、青空を見る灯里。

夏風に揺れる風見鶏。



【雨の休日、部屋でメールを書く灯里】

雨音が響く。

〜BGM「ウンディーネ弾き語り/牧野由依」〜

ARIAカンパニーにて、パソコンに向かって手紙をタイプする灯里……

(灯里がタイプしていく手紙の文面が、スクリーンに大きく表示される。声による独白は、あえてなし)


アイちゃん、ひとつ、正直に書くとね、今、すごく、つらいの。
だって、片思いじゃなかったって、知っているから。
でも、成就は、絶対にしない。
それも、わかっている。
そういうことが、起きちゃったの。
今、生きていけないくらい、つらい。
(「本当に」と入力して、とまどい、デリートし、書き直し)
でも、それでも、私は生きていくよ。
だって、水無灯里だから。
それが、水無灯里だから。
感謝しているんだ。
最高の人から、最高の想いをもらったこと。
確かに、もらったこと。

アイちゃん、今度アイちゃんと会うときには
きっと、もっと落ちついて
しっかり話せるようになっていると思うから、
だから、話、きいてね。
私がね、一人のヒロインだった、恋の話を。




窓辺の風に揺れるカーテンと、一輪の百合。
安らかに眠るアリア社長。

雨雲の先から、少しずつ光がさし始める。
サンバーストが、海に広がる。



【エンディング】

〜BGM「天気雨」〜

海の風景。海鳥の鳴き声が重なる。スタッフロール。

〜BGM「シンフォニー」〜

「シンフォニー」が始まると、『メイキング映像』へ。アニメながら実写映画撮影風のメイキング。

台本片手に、役をさぐりながら東京を歩く藍華。
ARIAカンパニーの横でメイクされる灯里。(灯里はマジ顔)
灯里との夜のシーンで、ライトやマイクをあてられるアリシア。(失敗して、ごめんなさい、と手をあわせる)
灯里に昼寝を起こされるARIA社長。(おなかを揺すられて『本番』のボードを差し出されるが、なかなか起きようとしない)
巧のバイオリン演奏打ち合わせ。(わりと余裕の表情)
スタジオの廊下で台本を読みながら、せきばらいをし、水を飲むアリス。
スタジオでの灯里たちの台詞の読み合わせ。お菓子やケーキを差し入れる先輩ウンディーネたち。
空港に集まったファンたちの全員記念撮影。あかつきらもかけよって参加。
スタッフ弁当の買い出しをするウッディ。(「からあげと、しゃけ、20個ずつ」と。乗り物は原チャリ)
弁当を食べながら「あのラジオ、バカだったよね〜」と笑いあう三人娘。
ARAIカンパニーのベランダを歩くアリシアを追う移動カメラ。(カメラを持っているのはサトジュン監督の後ろ姿?)
巧と灯里のツーショット。まじで顔を赤らめる巧。
医者へ急ぐゴンドラシーン、の現地での打ち合わせシーン。(ぶつかってもいいように建物に白布で養生がしてある)
口いっぱいケーキを頬張る姿を、突然写されてびっくりする灯里。
控え室にお茶が用意され、キャストたちが呼ばれる。
ティーカップを両手で包むように持ち、お茶の美味しさに満足げなアリス。

ラストの『手のシーン』(この映画のラストシーン)を前に、手の汗をテッシュでぬぐい、手を差し出す練習をくり返す灯里。
パタパタと手の平で顔をあおいで見たり、深呼吸をしてみたり、両手でもみあげをぎゅーっと伸ばしてみたり。
アリシアがやってきて心配そうに顔をのぞくと、灯里は「大丈夫」とうなずく。
その灯里が、『本番』のボードで呼ばれる……

「シンフォニー」がおわると、(お手をどうぞ)と差し出した灯里の手が大写し。
反対側から伸びてきた半透明の手が、とまどったのち、指が触れ、指をなぞり、やがて灯里の手を強くにぎり返す。



end







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